9 世界中の花を
「佐藤それ、香水の匂いでしょう。しかも女」
目も合わさずにすれ違い、立ち去りかけたその後姿は、私が突然掛けた台詞にぴたりと止まった。
すれ違いざま、ふわり香ったその匂いは、男がつけるには少々甘すぎる。制汗剤の、安い匂いでもない。時間が経ってもなかなか消えない、本物のパルファンだ。
「……さっすがお嬢、ええカンしとるやないけ」
思い切ってぶつかった甲斐は、あったのかなかったのか。こんな風にケンカを売れるようにはなった。無視はされないけれど、本気で相手をされているとも思えない。
だって、振り返る彼の顔には、しっかりと笑みが浮かんでいる。
「止めておいたら? そんな女」 「やきもち? 嬉しいわー」
「付けすぎなのよ。そんなに匂いが移るってことは」ほのかに香るぐらいの付け方じゃ、そんなにはっきり移らない。
「相手の程度が知れるってものよ?」
「詳しいんやな、お嬢。香水つけるん?」
「まさか。中学生がつけるものじゃありませんわ」
へええ、と彼は口の端を更に上げてみせる。馬鹿にされている、そう感じたのはきっと気のせいじゃない。
『最近 これ んとこ通ってんや』
いつだったか、小指を立てて彼がついた嘘。そう、嘘だ。彼はサッカーに本気になったのだと、夏からずっと知っている。
私は鞄を開けると、細いスプレー缶を取り出し、彼にほおり投げる。彼はあっさりキャッチし、矯めつ眇めつした。
「使ったら? 匂いが混じって変になるけど、女臭いよりましでしょう」ごく普通の制汗剤。普段私が使っているもの。「本命がいるにしろ、それじゃあ他の娘にもてないわよ」
私は彼の嘘に乗ってみせた。見抜いているからこそ、わざと。
彼はにやり笑って、「ありがたく使わしてもらうわ。返すの放課後でええ?」と返してくる。
試されていると知っていて、それでも決して尻尾を出してくれないのだ、この男は。
「差し上げるわ。あなたと同じものを使うなんてご免ですもの」
彼はふうん、と鼻を鳴らした。やっぱり笑ったまま。
「くれるもんは貰うとくわ。ま、一週間早いバレンタインやな」そう言って、自分の鞄に仕舞いこむ。「そろそろホームルームはじまるで」
じゃあ、と軽く手を振り、彼は教室へと消える。
誰にも本音を見せない、そんな男にあの香りは似合わない。あんな、甘い花の香りは。彼に投げつけたのはシトラスの制汗剤。だけどそれも似合わない。
多分、本当の彼は、明るくはないし、さわやかでもない。優しくなんて、絶対にない。
だから、世界中の花を集めたって、彼に似合う香りなんてありはしない。
……じゃあ何なら似合うというのか。
私は鞄の取っ手を力いっぱい握り締める。大音量で、チャイムが鳴り響いた。
|