#12 結婚式で勝負
教会から出てきた二人に、フラワーシャワーが降り注ぐ。おめでとう、おめでとうと、祝福の言葉も降り注ぐ。 「中学からずっと付きおうとって結婚て、今時珍しい話やな。お嬢もそう思わん?」 傍らの彼女にそう問えば、 「遠距離を6年も続けられるほうが珍しいんじゃなくて?」 と返された。 互いの親友の結婚式というめでたい席でも、二人は相変わらずだった。
季節が冬へと移り、リーグもシーズンオフになった。シゲのチームは優勝こそしなかったものの、そこそこの位置をキープした。 上条麻衣子の涙から三ヶ月あまり経った今でも、シゲと彼女の関係はそれほど変わりない。彼女は何事もなかったような顔で戻ってきたし、理由を聞いてもはぐらかしてばかりだった。 あれから何度かデートを重ねて、甘さの欠片もない会話を交わし合って。 水野竜也と小島有希の結婚式である、今日に至るわけだ。 にこやかな笑みを浮かべながら、祝福の拍手を二人に贈りながら、シゲは隣で拍手をしている彼女に視線を向けずに続ける。 「お嬢と勝負初めて、もう半年経ってもうたんやな」 「そうでしたかしら」 「も少しお嬢が積極的になってくれんと決着つかんで」 「積極的だとさぶいぼたつんでしょうに」 「もうこの際かまへん。この調子やったら、一年経っても終わらなそうや」 「私の恋人ごっこに付き合ってくれるっていうのね」 「喜んで」 「記者はいいの? ものすごい数来てるわよ、マスコミ関係」 主役二人はそろって海外プロサッカーリーグ所属で日本代表、おまけに美男美女。 注目されないはずがない。 そんな無数の目の中で、やはり日本代表のシゲがいちゃついていたら、記事にならないと考えるのはよほど無理がある。 「お嬢は一般人やから、目に黒線入るやろな」 「……嬉しくない話ね」 「まあとりあえず会話だけでもそれらしくしようや」シゲは譲歩した。 「努力するわ」彼女は承諾した。 「今着とる緑のドレスもよう似合うてるけど、白いドレス着てみたいとは思わんか、お嬢」 すぐさまシゲは言う。 「女の子の夢ですもの、もちろん着たいわ」 彼女もすぐさま答える。口調まで甘ったるく変えている。さすがだ。 「隣に立つんは誰なん?」 「あなたよ」 「ちゃんと名前で呼んでぇな」 「……恥ずかしいからダメ」 「聞きたいんやけどなー」 「結婚したらね。あなたって呼ぶ代わりに名前で呼んだげる」 「えー普通逆やろー」 「名前で呼び合う夫婦って、あこがれなの私」 「かわいいなお嬢は」 「やだもう照れるじゃない」 やればやるほど醒めた気分になり、台詞が棒読みになってくる。彼女の口調も次第に元にもどってきた。
お互いに、思いもしないことを言っている。
解りきった嘘のつき合いというのは、本音の言い合いよりもかなり精神的にくるものなのだと、シゲは初めて知った。
「ブーケ投げるみたいやで」 「あら大変。行かなくちゃ」 「おう、がんばって来ぃや」 未婚女性ばかりが集まっているゾーンへと、彼女は軽やかな足取りで向かう。 「……行く気なんか、あらへんかったんやろなホンマは」 彼女の背中が十分に遠ざかってから、そうシゲは呟いた。ブーケを手に入れたとしたって、鼻で笑って誰かに押しつけそうだ。これくらいで幸せになれるなら誰も苦労はしませんわ、とでも言って。結婚は人生の墓場ですわ、とまで言うかもしれない。普段の彼女ならば。 花嫁が後ろ向きになり、ブーケを投げた。ふわり落ちてきたそれは、上条麻衣子とは離れたところに立っていた女性の手元に着地した。 シゲはなんだかほっとした。
「お嬢、この後どうするん」 親類・友人はもとより、大勢のサッカー関係者を集めた盛大な披露宴の後、会場でシゲは彼女をそう呼び止めた。席が離れていたから、話をするのは数時間ぶりだ。 「二次会には出ませんけれど、どうかして?」 「じゃ、俺も出んわ」 「いいの? ずいぶんと久しぶりに会うメンバーばかりでしょう、来ているのは」 「久しぶりでも野郎ばっかなんやから、呑んで騒いで終わりやろ。ちったぁしゃべくったし。お嬢こそええんか」 「中学の女子サッカー部員は同じテーブルだったし、有希にはちゃんと会ったもの」 「じゃあデートでもしませんか」 彼女は少し面食らった顔をしたあと、にっこりと笑った。 「もしかして、勝負の続き?」 「そ。せっかくドレスアップしてるんやから、いいとこ行きましょ」 まだ夕方。時間はたっぷりある。
「お嬢何号なん? 指」 「どの指のこと?」 「察してくれ照れくさいんやから」 「だって、答えておいて他の指のことだったら私立ち直れないわ。期待してもいいの?」 手近なデパートの宝石店をのぞきながら、指を絡めて見つめ合い、甘い囁きを交わす。 店員がなにやら妙な顔をしながら遠ざかっていった。きっと感ずるものがあったのだろう。言葉や口調とは裏腹の、不穏な雰囲気。当人たちだって、我慢比べだと思ってやっているのだ。周囲の空気は凍っている。きっと。 被害者を増やすのも何なので、シゲは彼女の手を引き、歩き出した。 「こない似合いのカップルから逃げ出すなんて、失礼な店員やなぁ」 「そう? 私は安心したわ。女の人ですもの彼女も」 「えーなに、やきもち? お嬢」 彼女は無言で絡めた指に軽く力を込め、拗ねたような顔を見せた。 披露宴後で腹も空いておらず、この調子であちこち二人で見て回ったのだが、彼女が音を上げることはないのではないかと、シゲは訝しんだ。 裏を返せば、シゲがそろそろ音を上げたくなってきたというだけのことなのだが。 教会では彼女もうんざりしていたように感じたのに、今では全く、その素振りも見せない。むしろ楽しんでいるように見える。 このままでは勝ち目がない。 できれば使いたくはなかったが、もう奥の手に出るしかないと、シゲは踏ん切りを付けた。 「この後……」 シゲは足を止めると、いったん言葉を切る。 「なあに?」 彼女も立ち止まり、微笑みを返す。シゲはかがんで、彼女の耳に唇を近づけた。 「俺今日、披露宴あったホテル泊まるんやけど、そこのラウンジでちょっと飲まん?」 囁いて、横から彼女の表情をうかがう。 このまま恋人ごっこを続けるのか。 それとも皮肉混じりに断るか。もしそうなら、恋人ごっこに先に音を上げた彼女の負けだ。 彼女は微笑みを消して前を見たまま、シゲに視線を合わせようとはしない。 「いこか」返事を待たず、シゲは彼女の手を引き歩き出す。 彼女は絡めた指をふりほどかず、そのままついてきた。少し意外だった。 彼女も勝負にでているのかもしれなかった。
無言のまま披露宴会場だったホテルへと着き、最上階にあるラウンジへと続くエレベーターへ乗り込む。中は二人きりで、途中の階で止まる様子もなかった。 機械音だけが静かに響き、シゲは何か話さなければという気にさせられた。 「お嬢は酒強い?」 すこしの間の後、 「それほど」 となんとも感情のない声が返ってきた。 高飛車でも、恋人ごっこのでもない平坦な口調での答えは、本当なのかどうかシゲにはわからない。 「じゃああんまり飲まさんよう、気ぃつけとくわ」 彼女は黙ったままだった。 シゲは左手で絡めている、彼女の右手に意識を集中させた。 なんの変化もない。ぴくりとも動かない。温度も普通だ。
そういや、お嬢の手ぇ、あついとか冷たいとか、思ったことあらへんかったな。 小さめの柱時計のような音が到着を告げる。扉が開くとすぐ、シゲは彼女の手を引っぱってエレベーターから降りる。 彼女の手の柔らかな感触を、シゲはそのときはじめて意識した。
結局ずっと指を絡めあったまま、二人とも軽く飲んだ。会話はひどく少なかった。今日の式のことや、久しぶりにあった級友のことを、笑いを交えもせず、かといって皮肉ることもなく、淡々と話した。 彼女は時々微笑み、時々シゲの方を見たけれど、挑むようでもにこやかでもない、つついたら消えそうなその表情は、声と同じで本物なのかどうかシゲにはわからなかった。 そろそろ、そう切り出して席を立つと、白のカクテルがまだ半分ほど残ったグラスを彼女はゆっくりと置いて、ハンドバックを手に立ち上がった。 絨毯敷きの廊下は振動を吸いとって、二人の足音は響かない。ドアだけが延々並ぶ平坦な景色、壁紙の薄い黄色とオレンジがかった照明に、今が夜なのだということを一瞬忘れさせられる。 絡めた左手はそのままに、オートロックのドアをカードキーで開け、シゲは先に部屋に入る。繋がれた指先が彼女の右手を引き入れ、 彼女はハンドバックを持った左手でドアを閉める。 オートロックの落ちる音が響いた。 こちらを見た彼女と視線が交わる。 いつもの射抜くような強さは、その瞳にはない。 手応えのなさに戸惑う。 繋いだ手を彼女の顔の横あたりまで持ち上げ、指を絡めたままドアに押しつけて彼女を縫い止める。 彼女は絡めた指を振りほどこうとはしない。 けれど、握り返すこともしない。 表情も、態度も、仕草からも。 感情は読み取れそうで、読み取れない。 シゲは衝動的に覆い被さり、乱暴に彼女の唇をふさいだ。 ドアに彼女を押しつけ、首筋を右手で押さえて彼女の逃げ場を消す。 そして、深く貪った。 彼女の絡めた指に力がこもり、押し返そうとする。 シゲは左手で押さえ込んだ。 バッグの落ちる軽い音がした。 彼女の自由な左手がシゲの背中に回って、スーツを引っ張り、やめさせようとする。 その程度の力ではとても引きはがせない、言うかわりにいっそう深く食い荒らした。
さんざん弄ぶようにして嬲ってから、シゲはようやく彼女を解放した。呼吸の乱れが治まらないままの彼女に、囁く。 「あんまり慣れてるかんじせえへんな。ひょっとしてキス初めてなん、お嬢」 「っ、はじめてだと言ったら、困るんじゃなくて?」 いつもの瞳に戻った彼女は左手でシゲの胸を押しのける。 「当ててあげましょうか。あなた、本気で恋なんてしたことないでしょう。あなたは人を好きにならない。深入りしないし、させない。女には特に。初めてなんて重いだけでしょう、あなたにとっては」 シゲは絡めた指をほどき、彼女から完全に離れた。睨むような視線をぶつけられる。 「残念ね。私が顔を赤らめるか、あなたを怖がって泣けば、あなたは満足したんでしょうけど」 目の前の彼女はどちらでもない。 「あなたは私に見抜かれているのが我慢ならないのよ。本音を知られているのが、弱みを握られるのが耐えられないんだわ。 だから私より優位に立って平穏を取り戻そうとしてる。私をやり込められるのなら、惚れさせようが傷付けようが、どちらにしろ満足するんでしょう、あなた。 恋愛で勝負なんて、本当は、最初っから、する気なかったんでしょう。中学の時とおんなじだわ」 彼女は一気に言ってから、ふいに俯き、ぽつりと色味のない声を落とした。 「帰るわ」 床に落ちていたバッグを拾い、ドアノブに手を掛ける。 「お嬢」 「安心しなさいな、さすがに初めてじゃないわ」 抑揚のない声とは裏腹な、強気の笑みを見せて、彼女は部屋を出る。 シゲは追いかけられなかった。
「……進歩ないんかな俺」 呟く。彼女の言ったことは、当たっているという気がした。 彼女が初めてだと答えたなら、手を出す気を削がれただろう。面倒だと、気が重いと自分は思うに違いない。 彼女の抵抗をやり込めるのが愉快だったのも、事実だった。 彼女を傷付けることが、愉快だったのだろうか、自分は。
突然ドアがノックされて、シゲは驚いた。 「お嬢 の訳ないな」 のぞき穴で確認もせずにドアを開ける。 なんと、水野が立っていた。 「どしたん、新郎がこんなとこで。初夜に新婦ほっといたらアカンやろ」 「有希なら部屋でぐったりしてるよ。ドレスやら着物やらで着疲れだと。普段着慣れないもんばっかだからな。先に寝るからどっか行けって」 「え、追い出されたん」 「あんたが居ると気になって寝られない、あたしが寝入った頃に物音も立てずに入ってきてあたしを起こさないように勝手に寝なさい、そう言われた」 ため息混じりに水野は口まねをする。 「よっぽど日頃の行いが悪いんやなタツボン」 そして従ってしまうあたり、あっさり尻に敷かれている。多少同情する。 「で、お前もここ泊まってるの思い出して、まあ有希が寝るまでどっかで飲まないかと誘いに来たんだよ。独りで飲むのも馬鹿だろ、結婚式当日に」 「男と飲むのも馬鹿ちゃうか」 「五十歩百歩だな。ひとりよりは浮気を疑われないぐらいの違いだ」 やぶれかぶれか開き直っているのか、きっぱりと水野は言い切った。 「……かわいそうな新郎につき合うたるわ」 シゲは胸ポケットのカードキーを確認してから部屋を出る。 廊下を歩く途中、水野が突然口火を切った。 「……さっき、この階で上条とすれ違った」 「……へえ、そいつは奇遇やな」 「シゲお前 いや、なんでもない」 「言いかけて止めるなや。気になるやんか」 「……じゃあ聞くけどな。お前上条とどういう関係なんだ?」 「どういうって、中学時代の同級生?」 さらさら軽口が飛び出す。 「偶然にしちゃ、出来過ぎだろうが。とぼけるなよ」 「とぼけるなって言われましても」 上条麻衣子とシゲの関係。 再会したばかりの時なら、はっきりしていたのだが。 「 ま、複雑でちょっと一言では言えんな」 「ひとつ覚えておけよシゲ。上条は有希の親友だ。上条に何かあると有希もへそを曲げる。曲げられると俺が困る」 「俺が困るって……情けない台詞やな」 「仕方ないだろう、実際今だって困らせられてるんだろうが。シゲ、お前ちゃんと上条に優しくしろ。間違っても泣かせんな」
そいつは難しいお願いやな。 シゲは首を掻いた。
シゲが上条麻衣子にしているのは、正反対のことばかりだ。
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