#9 車勝負、決着
なんとか峠道を抜けたシゲは、止めてちょうだい、という彼女の声に内心安堵しながら、あくまで表情には隠しつつ(多分バレてるが、そこは見栄というものだ)、少し広めの路側帯に止めた。 「ここでいいわ。送ってくれてありがとう」 「何言うとるん。ちゃんと家まで送るよって。右腕一本で」 言うと、強気の笑みを返された。 「都内まで来れば十分よ。それに、もう勝負はついたもの、今日のところはね」 彼女は、シゲの左手を挟んでいた両手をそっとほどき、シートベルトを外してドアを開け、外に降り立つ。そして、着物を調えた後、くるりとシゲに向き直り、屈んで目線を同じくした。 軽く頭を傾げた彼女に、目を見つめられる。 「そんなにどきどきした?」 「はぁ?」 「手。汗かいてたわよ」 シゲは固まった。 彼女は胸元の合わせから喫茶店などによくある紙ナプキンを取り出すと、同じく取り出した口紅でさらさらと数字を書いた。 「これ、携帯の番号だから」 助手席に置く。 「じゃあね、11番さん」 微笑みと、そんな捨て台詞を残して。 彼女は車のドアを閉めた。 風圧で、赤い数字の書かれた白い紙がひらひら車内を舞った。 彼女はさっさとタクシーを拾い、走り去る。 シゲは左のてのひらをじっと見た。 「うっわ、マジで汗まみれや」 なんというか、十年に一度あるかないかの、情けない声だった。 左手の甲にはさっぱり湿気を感じない。つまり、彼女は汗をかいていない。 かなり危うい運転だったはずだ。本人であるシゲですら、ひやひやしたぐらいなのだから。彼女は命が惜しくないのだろうか。 何という、クソ度胸。彼女でなけりゃ、感心してやれるのに。
悔しい。負けた。 ものすごく、シゲはそう思った。 「……ちきしょー」 『じゃあね、11番さん』 彼女の残した捨て台詞。あくまでシゲの名前は言わないつもりらしい。 多分、シゲが彼女の名前を呼ばなかった仕返しなのだろうけれど、シゲは昔から彼女・上条麻衣子のことを「お嬢」と呼んでいたのだ。 意地でも変えるか、そう決意を固めて、そういえば中学時代は、彼女に何と呼ばれていたのかと、シゲは思い出そうとした。
ああそうや、佐藤、や。今やったら、藤村、になるんかな、呼ばれるとしたら。 シゲは彼女を、お嬢、と呼んでいた。そういえば、なぜ、そう呼ぶようになったのだったか。 同級生の女子なら、最初は苗字で呼んでいたはずだ。上条、もしくは上条ちゃん。それが何でお嬢に。
きっかけは、思い出せなかった。
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