エピローグ後プロローグ〜卒業についてのあれこれ5〜
シゲの背中が、教室から見えなくなった。 シゲが上条麻衣子を見つめてから出て行くまでの様子を観察していた水野は、複雑な顔で傍らの有希に視線を移した。 その有希も同じことをしていたようで、一拍遅れて水野の方へ顔を向けた。 そしてまた二人同時に上条麻衣子を見遣る。 ちょうど、窓から教室に向き直る所だった。 彼女の表情は静かだった。水野と有希の視線に気づき、こちらへ近付いてくる。 「泣いてるのかと思ったわ」 有希が言った。 「まさか」 微笑んで上条麻衣子が答えた。 「……あんまり、いいお天気だったものだから」 そう言って上条は、視線をほんの少しだけ、窓の外へ投げる。 「何言われたの? シゲに」 「ホワイトデーのプレゼント、渡し忘れてたからって」 差し出された手のひらの中に、学生服のボタンが現れた。 「第2ボタンですって」 「第2? 第2なの、それ」 「そうらしいわよ。お嬢のためにわざわざ取っておいたんや、ですって。笑わせるわ」 首を傾げ、手の甲で黒髪を払い、上条麻衣子は皮肉げな笑みを浮かべた。 その笑みは、水野には無理矢理作ったものに見えた。 それだって、有希に『麻衣子はシゲのことを好きなのだ』と聞かなければ気付かなかっただろう。それほどかすかな違和感。 有希が麻衣子、と心配そうな声を出す。 上条麻衣子は一旦顔を伏せ、ぐいと持ち上げるように起こしてから言った。 「いっそのこと、誰かに売りつけようかしら、校内放送でもかけて」 「そーだ、水野のボタンもセットにする? この通りばっちり残ってるもの」 と、有希は水野を指さす。 「おい」 突然話を振られた水野は本気で慌てた。どうしてそうなるんだ、小島有希。 「そうね。水野、袖ボタンでいいから1つ、頂いてもいいかしら?」 「第2でもいいわよ、あげる。あたしが許す」
「おい、お前らちょっと待て。落ち着け」 思わず割って入る。有希なら本当にやりそうだ。 そんな水野を見た上条麻衣子は笑う。 「有希、第二はあなたのものですってよ?」 「なによ、別にそんなことないわよ」 「そう、有希はいらないのね? 本当に? 私、遠慮なく貰っちゃうわよ?」 答えに詰まった有希が水野にちらりと視線をよこす。 水野は無言で圧力を掛けた。あたふたと水野と上条麻衣子の間で視線を往復させる有希に、上条麻衣子が吹き出した。 「有希、意地張ったってだめよ。あなた、可愛いんだもの」 水野に、でしょう? とでも言いたげな目配せを飛ばし、肩をすくめる仕草をしながら、ボタンをセーラーのポケットに落とした。 「ま、素直になりなさいよね。今日は卒業式なんだし、あなたたちは高校離れるんだから」 「そう言ってもらえると助かるよ上条」 ため息交じりに感謝する水野に、 「別にあなたのためじゃないわ。有希のためよ」 上条麻衣子は言い切った。見事だ。
「じゃあね水野。武蔵野森でも、せいぜい頑張りなさい。それから有希」 有希の肩に軽く触れると、 「またね」 上条麻衣子は、一瞬だけ寂しげな笑みを零し、踵をかえした。 確かな足取りで、長い黒髪を揺らしながら、振り返らずに教室を出てゆく。
「なあ有希」 「何?」 「本当に、上条はシゲが好きなのか?」 「……そうよ。信じられない?」 「正直言うとな。お前がそう言うんなら、そうなんだろうけど」 「いっそ、嘘なら良かったのに。あんな麻衣子見てるの辛すぎるわ」 有希はほとんど涙ぐんでいる。 「シゲは京都だし、麻衣子はこっちで女子校だし、もう二人が会う機会なんてないんだろうけど、こんな最後って最悪じゃない? 第二ボタンなんて押しつけて、麻衣子にどうしろっていうのよ」 「……無神経で冷たくてサディスト、か」 水野にもようやく意味が飲み込めた。 「あたし、シゲなんか大っっ嫌い」 「……そうか」 頷きを返しはしたが、シゲに対して水野は、有希とは全然別の思いを抱いていた。
シゲが取っている態度は、はっきり言っておかしい。 けれどそれは、上条麻衣子に対してだけなのだ。上条にだけおかしいのだ。 なら、シゲにとって上条麻衣子が特別な存在、ということなんじゃないだろうか?
なあ小島、と水野は切り出した。 「先のことなんてわからないけどな。あいつらいつか再会するんじゃないか」 再会して、その時、今の関係とは違った何かが生まれるんじゃないだろうか。 「……何よ。そんな機会ある? 同窓会?」 「いや……その……」 万が一、もしかしたら俺たちの結婚式で、なんて恥ずかしいことを言える性格ではない水野は言った。 「単なるカンだよ」 「なにそれ、勘? あてになんないわよそんなの」 「じゃあ、予言てことで」 「予言?」 「そ、予言」 ふうん、と適当に相づちをうった有希は、窓の外を見た。水野もつられて外を見る。 満開の桜の木が、春の柔らかな日差しの中、薄紅の花びらを散らしている。 さっきまで上条麻衣子が見ていた景色だった。 シゲに背を向けたまま、この風景を見ながら、彼女は一体何を考えていたのだろう。
「……あたるかしら」 寂しげに有希が言った。水野はイスを引いて立ち上がる。 「俺は当たる方に賭ける」 「賭けるって、何を?」 「……これとか」 第二ボタンを外して、手渡した。 びっくり顔で見つめられて少し照れる。 「……分かった。結果出るまで預かっといてあげるわ」 「そうしてくれると助かる」 ため息交じりに水野が言うと、有希はようやく笑った。 大事そうにボタンを握りしめて、有希も立ち上がる。 「……あたると良いわね」 祈るような声のあと、最後のチャイムが鳴り響いた。
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