麻衣子編 #14 /// site top / text index / ニセモノの恋 index


#14 勝負の決着


宙に浮かせた左手を、麻衣子はぎゅっと握りしめた。
 振り下ろすことが、どうしてもできなかった。
「……どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのよ、あなたは」
 ようやく言って、手を下ろす。 
 へらりとした笑みを浮かべている彼の横っ面をはり倒して、彼の手に捕まっている右手を振り払ってしまえれば、どんなにいいだろう。
「離しなさいよ」
 麻衣子は右手を動かさないまま、そう口にする。
「嫌や」
 彼は手を緩めない。
「……離して」
 麻衣子はうつむき、力なく懇願した。
「もう勝負はついたじゃない。まだ傷付け足りないの?」
「違う。傷付けたい訳やない」
「じゃあ、どうしてよ?」
 涙声になりながら、麻衣子は問うた。
「違うんや、お嬢。泣かしたい訳やない。さっき言った理由、嘘やから。勝ったから来たんやない」
 彼は麻衣子の右手を掴んだまま、ゆっくりと腰の高さにまでおろした。
「勝負、まだ終わっとらんから、来たんや。小島ちゃんに今日、見合いやって聞いて」
 有希、あなた、なんてことを。
 麻衣子は親友の顔を思い描く。
 確かに、見合いの場所や日時なんかは有希に教えたけれど、彼女がまさか彼に教えるなんて。
 いや、父親の事や、麻衣子の踏み込んだ事情までは彼女に伝えていなかったのだから、仕方ないのか。
 それでもこの状況はあんまりだ。
 彼が危険すぎる。
「私の負けで、終わりよ、勝負は。これ以上は続けられないって言ったでしょう?」
 麻衣子は強い口調で言った。
「お父さんが原因?」
「……ええ。わかっているなら離して。私、戻らなくちゃ」
「嫌やって。戻ったらそいつと結婚することになるんやろ?」
「そうなるでしょうね。でも、仕方ないのよ。お願いだから離して」
「嫌や。絶対行かせん」
   佐藤!」
 麻衣子は強く右手を引いたが、彼の手を振りほどけない。
「私はもう、あなたとの勝負を続けるつもりはないの。どうしてわかってくれないのよ」
「お嬢が何もわかっとらんからや」
「何のことよ! わかってないのはあなたよ、あなたが危ないっていうのに!」
 叫んだら、涙が溢れてきた。
 勝負を続けていたら危険なのだと彼に言っても、きっと分かってもらえない。麻衣子の家は特殊過ぎる。だからずっと言わなかったし、言うつもりも無かったのに。

 うつむき肩を震わせる麻衣子の頬に、そっと触れるものがあった。
 彼の指先が、涙を拭うように動いている。
 麻衣子は視線を上げて彼の顔を見つめる。 彼は麻衣子の目尻を親指で掠めるようにして、涙を封じ込めた。
「俺のことやったら心配せんでええで。何とかなるよって」
「……あなたは父を知らないのよ。父が生きてる世界も、だから……」
「あー、お嬢のお父さんな、結構大変な事になってるみたいやけど、多分、何とかなるから」
 麻衣子は面食らった。
 上条家の親類でも、上条家が置かれているような世界にも関わりのないはずの彼が、どうして。
「……どういうこと? 何とかなるですって?」
 疑う口調で麻衣子が言うと、彼は苦笑いになって答えた。
「俺ん家も、実は面倒な家やねん。ツテはいろいろと、な」
「つて?」
 麻衣子は首を傾げる。
「あー、ホンマは自力でなんとか出来たら格好ええんやけどな。お父んのツテや。結構顔利くんや、そういう方面には」
 麻衣子は無言で立ちつくした。
 彼の家は、実は面倒な家で。
 そういう世界には、いろいろと伝手があって。
 そういう世界に顔が利く父親がいて。
「お嬢のお父さんがどうなるかはまだ多分としか言えんけど、お嬢のお父さんのせいで俺がどうこうなるようなことは、絶対無いで」
 だから俺の心配はいらん、そう言って彼はすっかり涙の止まった麻衣子に屈託無く笑いかける。
 意外な発言に、彼は大丈夫なのだという安心よりも疑問が先に立った。
   わざわざ、父のことを調べたの?」
「そうや。お父んに頭下げて」
「そこまでして勝負がしたいの?」
 麻衣子は呆れ声で尋ねた。そんなことをしてまで、麻衣子が勝負を終わらせた理由を取り除くなんて、どこまで負けず嫌いな男だろう。
「父のせいで決着を焦っていたのは本当だし、勝負を続けられないのも父のせいだったけど、一月前にあなたが好きだと言ったのは方便じゃないのよ? 勝負はもうちゃんと終わっているはずよ」
 相手に先に惚れた方が負け、それが勝負のルールだった。
 勝負の結果はもう着いているのに、彼はどうしてそんなことを。
 疑問でいっぱいの麻衣子の顔を彼は真顔でじっと見つめ、何故か深くため息をついた。
「……何よ、どうしてため息なんかつくのよ」
「……ほれ見ぃ、やっぱり全然わかっとらんやないか」
 そういえばさっきも、そんな事を言われた気がしたけれど、本当に、何のことかさっぱり分からない。麻衣子はただ首を傾げて、彼の言葉を待った。
 彼は言い辛そうに視線を逸らして、ひとつ息を吸ってから、麻衣子の目をさっきみたいに真面目な顔で見つめながら言った。

「今日はな、勝負は俺の負けやって、言いに来たんや」

 麻衣子は硬直した。
 心臓の鼓動まで止まった気がした。



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