麻衣子編 #5 /// site top / text index / ニセモノの恋 index


#5 引導を渡す運命


どうしてこうも和室ばかりなのだろうかと、麻衣子は正面の空席の向こうにある、凝った格子模様の障子を見た。
 おかげで着物を着る機会は多い。振袖の袂捌きにも慣れ、長時間着ていても息苦しさを感じないほど、帯の締め付けの強さに馴染んでしまった。
 二十歳の時から、一体見合いは何度目か。数えるのも馬鹿らしいが、ほとんどが和室であったことを思えば、数えておくのも良かったかもしれない。見合いの回数と、和室での見合いの回数、それ以外での回数。両方とも、成功はゼロ。馬鹿馬鹿しくて、笑えるかもしれない。
 暇を持て余している、そう自覚する。見合い写真と簡単なプロフィールなんてもので期待に胸ときめかせて待つなんてことはしない。見合い慣れしたというよりは、最初から見合い相手に興味がないのだ。
 遅れまして、と相手と両親、仲人が入ってきた。手順どおりに進められる儀式。はじめましてと淑やかに言い、麻衣子は笑って頭を下げた。
 穏やかそうな、感じの良い人だった。父が許可する相手だから、結婚相手としては文句のつけようがない。この人と結婚して、家庭に入って主婦になり、夫を見送って毎朝毎晩ご飯を作る。子供もできるかもしれない。平凡で、でもおそらくは幸せな人生。
 でも、それが何なのだろう、と麻衣子は思う。
 欲しがったもの、自ら掴み取ったものだからこそ、貴い。平凡な幸せだって、手に入れるのに苦労する人だっているし、欲しがる人も大勢いるだろう。麻衣子は贅沢なのかもしれない。
 けれど、見つけてこられた相手と添っても、生きているという実感がない。辛くても、苦しくても、手に入らないかもしれなくても、欲しいと手を伸ばし、努力する。たとえ手に入れられなくとも、それが生きているということだと、麻衣子は経験上、知っていた。
「ご趣味は?」
 型どおりの質問をされる。
「サッカーを少々」
 にっこり笑って答える。たいていの相手は反応に困って。
「……ああ、よくご覧になるんですか?」
 こんな風に返すのだ。
「いいえ、蹴るほうですわ。体を動かすのは、好きですから」
 そうなのですか、活動的でいらっしゃるのね、などと取り成すむこうの母親や仲人。
 麻衣子はそれなりに応じながら、いつになく苛立ちを感じている自分に気付いた。
 何度となく交わされた、決まりきった会話。
 何処までも型どおりに進むお見合い。
 結局この話だって断るのだ。ここにいる意味なんてあるのだろうか。
 会食が運ばれてくる。一流の料亭だから、それなりのものだが、食欲は全くない。
 麻衣子は机の下の小さなバッグから必要最低限のもの  カードと口紅  をこっそり取り出し、着物の懐に入れた。
 母親に、お手洗いに、と耳打ちして席を立つ。
   鞄を置いてゆけば、まさか脱走したとは思うまい。
 そんな判断だった。

タクシーを拾って料亭から離れ、適当なキャッシュディスペンサーに寄ってもらってお金を下ろし、自由の利く身となった。
 ふらりと入ったのは、小さく、薄汚れた喫茶店で、紅茶を注文して席に着く。飲んだ後で口紅を直そうと、白いナプキンを三枚ほど失敬して懐にしまう。手持ち無沙汰に、カウンターにあるテレビを、なんとはなしに眺める。
 サッカーのニュース。無性に懐かしかった。あの頃が、懐かしい。愛しい。
 そう自覚させられる。改めて。
 あの頃の自分は、確かに生きている実感があった。目標があって、それに向かって毎日汗だくになって。
 目標は結局叶わなかったけれど、それでも後悔していない。目標だった小島有希とは今でもいい友人だし、サッカーも細々とだが続けている。あの頃との違いはあまりないはずだ。
 なのにどうして、こんなに停滞している。
 大きく画面に映し出される、背番号11の選手。
 心臓が、ひとつ大きく脈うった。
 中学を卒業してから、もう七年。ひとつとして、恋をしていない。できていない。
 いや、しようとしなかった。
   恋じゃない。恋なんかじゃ、ない。
 画面の中、背番号11の選手はゴールを決め、チームメイトと抱き合って喜びを分かち合っている。
   恋じゃない。恋なんかしていない。だって彼は、誰にも本気にならないのだから。
 瞼が熱くなり、鼻の奥がツンとした。
   この後に及んで。馬鹿だ。
 恋じゃない。この感情は、恋なんかじゃない。嫌いなのだ、大っ嫌いなのだ、彼なんて。
 だって、七年経った今でも、彼だけは見間違わない。一目でわかる。背中を見ただけで、ドリブルの癖を見ただけで。
 目が覚えている。大嫌いだから。
   馬鹿だ。私は大馬鹿だ。
 麻衣子は唇を噛み、泣くのを堪えた。泣く資格はない。彼の姿を声を、テレビ越しにしか感じられない今の状況は、当たり前なのだ。たった数秒の映像に、未だにこんなに胸を締めつけられていることも。
 麻衣子は、あの頃から一歩も動けていない。自分に嘘をついたまま、自分で自分の時間を止めてしまった。
 
 Jリーグの今日の対戦カードと会場を最後に映し、ニュースが切り替わった。
 麻衣子は、小瀬、と呟く。
 確か、甲府のスタジアムだ。東京からはそう遠くない。キックオフには間に合わなくとも、最後のホイッスルまでには。
 丁度運ばれて来た紅茶には口を付けずに席を立つ。
 麻衣子は、あの頃のまま停滞している。
 当たり前だ。
   恋じゃない。この感情は、恋なんかじゃない。
 七年も自分に嘘をつき、散々、見て見ぬ振りをしてきた報いだ。


 もういいかげん、引導を渡さなければならない。


 この、ニセモノの恋に。





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