麻衣子編 #4 /// site top / text index / ニセモノの恋 index


#4 佐藤、成樹


いいかげんな男、というのが佐藤成樹の第一印象だった。第二印象は本気になりたがらない奴。
 その次、言葉を交わしてみて感じたこと。
 器用で明るく、大勢に好かれる人柄。
 やる気にさえなれば、多分何でも出来るのだろう、恵まれた才能。
 鬱屈したもののない、達観した、大人な態度。
『お姉ちゃんに似ている』
 なのに麻衣子は、彼が嫌いだと感じたのだ。

麻衣子が憧れている大好きな姉に、彼は似た部分を持っている。姉へと同じく、憧れたり、羨んだりするなら分かるのに、麻衣子は彼を見ると苛立った。
『才能があるくせに本気にならない奴だから、嫌いなんだわ』
 打倒小島有希を目標にしているのに、彼ほどサッカーの才能を持たない麻衣子は、そのときはそう納得していた。

入部後しばらくして、小島有希に「長かった髪をどうして切ったの」と聞いてみたことがある。
『けじめをつけたの。今までの自分にさよならしたしるし』
 そんな答えが返ってきた。
 なるほどと、麻衣子は頷いたものだ。彼女が髪を切る前、桜上水中アイドルの座をかけて渡り合っていた頃よりも、今の彼女は生き生きしている。サッカーへの気持ちを隠すのを止めた彼女。彼女は、自分の殻を破ったのだ。破ったしるしとして、髪を切った。
 彼女の長い髪は殻の象徴になりえるのだ。髪は、殻の替わりになる。
 なら、性格だけでなく。
 ファッション、髪型、自分を形作るもの、自分を特徴づけるもの全てが、自分を守るための殻になりうるのだと、そう麻衣子は思った。
 彼の、金の髪やピアス。
 見た目で目立つ。見た目だけで、特徴になる。表面だけ見てもらえるように、本音には踏み込まれないように。
 多分、そういうことなのだろう。
『苛々する』 
 何故か麻衣子はそう感じた。
 その頃の彼は、周りに上手く隠しながらもサッカーに本気になっていた。
 悔しいながらも、本気になった彼にまっすぐな小島有希に通じるものを感じた麻衣子が、彼を嫌う理由はもう、ないはずだった。
 全部の理由がわかったのは、何もかも冬の気配にすっかり包まれた頃のことだ。

週末、姉が久しぶりに家に帰ってきた。一ヶ月もしないうちに正月休みに入り、二月の半ばにはもう春休みだというのだから、大学生が羨ましいと姉に言ったら笑われた。
「単位落としたら進級できないのよ、大学って。追試がない講義も多いし。休みは長いけど、そういう意味では厳しいのよ?」
「お姉ちゃんみたいに頭良いところ行かないもの」
 そう言ったらやっぱり笑われた。
「そういえば今日は父さんと母さんは」
「結婚式の仲人。夕飯は私が適当に作るから」
 姉は目をぱちぱちさせた。
「麻衣子、料理の腕上げた?」
「自分じゃ解らないけど、お母さんの替わりにたまに作ったりしてるから、味は大丈夫」
 頼もしいと拍手のマネをして言った後、姉は麻衣子の顔をじっと見つめてから言った。
「相変わらず? 二人は」
 麻衣子は頷きだけで答えた。
「……ずっと聞きたかったの。お姉ちゃんはどうして、お父さんとお母さんにそんなに優しくなれるの? 私は、できない。したいのに苦しくてできない」
「そうね。そろそろ麻衣子も出来るかもしれないわね」
 ソファに腰を下ろした姉は、立ったままの麻衣子を見上げた。
「簡単よ。道ですれ違ったとか、お店で隣のテーブルだったとか、そんな面識もない人に何かされても、ずーっとその人に腹をたて続けたりできないでしょう?」
 麻衣子は、ちょっと考えてから頷いた。たしかに一瞬腹は立つけれど、あまり持続しない気がする。不運だったと、忘れてしまえる。
「家族だって思うからつらいの。甘えてしまいたくなるのよ。他人だったら何だって平気でしょう。なら、血が繋がっただけの、他人だって思えばいいのよ。父さんのことも、母さんのことも」
 笑って、姉は言った。気負いも皮肉も痛みも嘘も、その表情からは読み取れなかった。
 なら、ごくごく自然に、思っていることを述べているのだ。柔らかに笑って。
 姉はいつだって優しく笑っている人だったから、笑顔じゃない顔の方が珍しいのだけれど、この笑みには見覚えがあった。
『だって、お家大事の、政略結婚なんだもの、父さんと母さんは。仕方がないよ』
 そう言ったときの。
 姉は二人を許して、受け入れているのだと、麻衣子が感じた微笑み。
    違ったのだろうか。
 他人だと思っていたから、そう言えたのだろうか。
 父も母も家族ではなく他人だと、どうでもいい相手だと、切り捨てているから。
 自分にはなんの関わり合いもない、そう割り切れたから姉は両親に優しくできるのか。
  『私も、他人なの?』
 麻衣子はその一言を飲み込んだ。
飲み込まざるをえなかった。
 悟ったのだ、両親のときのように、唐突に。
 麻衣子は別よ、そう姉は答えるに違いない。
 父や母に向けていた、この微笑みを浮かべて。
 麻衣子はなんとか無表情のまま部屋へ戻ると言い残し、居間を出た。
 ふつうに、ふつうに、そう言い聞かせながら階段を上る。間違っても、走ったりしてはいけない。姉に気づかれてはいけない。
『他人と思えば、何だって平気。家族だろうと』
「……私も、他人なの?」
 麻衣子は別よ、そう姉は答えるに違いない。
 同じ質問を父母にされても。お父さんは別、お母さんは別、そう姉は優しく笑って、答えるだろう。
 姉は、笑って嘘をつける。いくらでも。
 麻衣子のように、自分を偽るのが辛くなったりしない。
 他人相手だから。
 どうでもいい相手だから。
 麻衣子は部屋のドアをしっかり閉めて、ベッドに飛び込んだ。
『お姉ちゃんに似ている』
 なぜそう思ったのか、大好きな姉に似ているのに彼が嫌いだと感じるのはなぜなのか、麻衣子はこのとき初めて理解した。
 誰にでも好かれる、器用な性格。達観した、大人な態度。
 冷めていたからだ。切り捨てていたからだ。どうでもよかったのだ、誰もかれも周りの人間が。麻衣子はきっと頭のどこかで、不完全な彼のそれには気づいていた。完璧だったから、姉のそれには今まで気づけなかった。
 麻衣子はしゃくり上げた。枕に顔をあて、押し殺した。
 ひどい。
 そう大声で叫びたかった。
 全て受け入れて許しているように見えて、その実、何一つ、誰ひとり、姉の心には入れない。姉の特別になることはできない。大事に思われることも、憎まれることもない。麻衣子がどんなに好きでも、嫌いでも、全く関係がない。どうでもいいのだ、何一つ心には響かない。感情が揺さぶられることがないから、誰かに辛く当たったり、傷つけたりしないくていい。誰にでも優しい。
 麻衣子も、両親も、切り捨てられている。
 優しい微笑みを向けられながら。
   姉も、家族じゃないのだ。いい顔ばかり見せる父より、愚痴をこぼす母よりも、もっとずっと、姉が一番、家族じゃない。
 麻衣子は、自分がひとりなのだと知った。
 息が上手く吸えなくて咳き込んだ。歯がかちかち鳴った。手が震えた。
 どうりで姉にはけ口が必要ないはずだ。
 はけ口を必要とするほどの感情を、抱いたりはしないのだ。吐き出さずにはいられないほどの強い想いを。
 本気の愛情も、憎しみも、感じない。
 枕にしみが広がる。
 こんなにしみが大きくなることはなかった。両親の嘘に初めて気づいたときだって、両親の関係はずっとこのままなのだと悟ったときだって、麻衣子はこんな風にはならなかった。
 きっと、殻なのだ。
 喉の奥が焼け付く感覚に耐えながら、麻衣子は思った。
 守るために作られた殻なのだ、他人をそんな風に切り捨てることが。麻衣子が殻を被ったように、弱い、なにかとても大事なものを守るために、姉も、彼も。
 なんてひどい殻だろうと、それでも麻衣子は思った。
 その人を好きなだけ、大事に想っていればいただけ、同じ深さの傷を付けかえされる殻だなんて。

今になって思う。麻衣子は、このときすでにもう、彼のことが好きだったのだろう。
何もかも隠して、それでもまっしぐらに進める彼を、弱くて強い彼を、好きになっていたのだろう。
 けれど、気付かないふりをした。自分にすら気付かれないよう、自分自身にも完璧に、嘘をついた。
 なんてひどい殻だろう、と。そんな嘆きに紛らわして。
 彼が嫌いだ。姉のように、他人を切り捨てる彼が嫌いだ。本音を見せない彼が嫌いだ。
 想うほど、傷付けられる殻をもつ彼なんて、大嫌いだ。
 だって、そんな相手に、恋をしたのだから。

麻衣子が彼への想いを自覚したのは、季節が春に移り変わる直前のこと。
 彼の他人を切り捨てる殻は、風祭限定で、完全に解かれていると気付いた。風祭は彼にとってどうでもよくない、彼が本気になる相手だった。
彼は姉とは違う人間になった。
 姉と同じだから嫌いなのだと、自分に嘘をつけなくなった。
 そして、彼が麻衣子に取る態度は、姉と変わらないのだと気付いて、姉のときと同じ苦しみを味わった。苦しい分だけ、強く想いを自覚した。それでも、麻衣子の彼への態度は変わらなかった。
 彼が殻を破ったのは、あくまで一部の人間なのだ。恋では駄目だ。恋愛感情には、彼は殻を作ったままだ。表面的なつきあいしか望まない。麻衣子が真剣であればあるほど、彼は相手をしてはくれない。
 その、表面的な関係だけは、麻衣子にはできないのだった。姉のような真似は、麻衣子にはしたくともできない。そんな麻衣子を彼が受け入れないだろうことは簡単にわかった。
 だから、彼との関係は、彼への想いを自覚しても平行線のままだった。
 関係が大きく動いたのは、風祭のせいだった。
 風祭が怪我をしたのだ。彼のせいだった。
 風祭は、唯一彼が切り捨てていない相手だった。切り捨てられない相手だった。
 だから彼は、風祭に対する感情だけは切り捨てられない。風祭への罪悪感を、消すことができない。
 取り繕おうとして、できていない彼はがたがただった。麻衣子は見ていられなかった。
 麻衣子はずっと、彼の殻が疎ましかった。なくなって欲しかった。本当の彼が見たかった。本音でいたほうが、小島有希のように生き生きとできると思っていた。
 けれど違う人もいるのだと、佐藤成樹はそうなのだと、気付かされた。
 殻を剥がれれば、上手く生きられない人もいるのだ。殻は守るためにできるのだから。

麻衣子は弱った彼を挑発した。そうすれば、風祭に対する、切り捨てることの出来ない彼の罪悪感を、自分への怒りで紛らわせられると思った。
 彼に嫌われようとした。切り捨てられる相手でいるよりは、本物の感情をぶつけられる相手でありたいと願った。
 上手くいった。上手くいきすぎたのだ。彼は麻衣子にしっかり敵意を向けてきたのに、彼を想ったまま剥き出しの敵意を受け止め続けられるほど、麻衣子は強くはなかった。
 大嫌いだと自分に言い聞かせた。

それは、以前とは違う、不完全な嘘だった。





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