――――もういいかげん、引導を渡さなければならない。
この、ニセモノの恋に。
ニセモノの恋 上条麻衣子
#1 嘘つきのプライバシー
サングラスを外し、髪留めを取った。背中に落ちてきた長い髪を、額からかきあげるように一度だけ手櫛を通して整える。意識的に背筋を伸ばし、麻衣子はいつもの自分を思い出す。 スモーク張りの白いセダンに近づき、助手席のウインドウを軽く叩いた。 「上条麻衣子よ。あなた達の、調査対象。訴えられたくなかったら大人しく乗せなさい」 5秒と経たずにロックの開く音がした。ためらわずに乗り込む。中にいたのは、運転席に女、後部座席に男の合わせて二人。二人とも、まだ若い。大目に見ても三十代ぐらいだろう。 「どこでもいいわ、車を出して」 シートベルトを締めながら言う。女はおとなしくエンジンをかけた。 助手席の窓から、彼の車が見えた。運転席の、彼の姿も。どんな顔をしているのかまでは、残念ながらわからない。 白いセダンはスムーズに発進して、彼の姿は見えなくなった。麻衣子はそのまま、窓の外を見続けた。この車のドアを開けたとき、マニュアル車だと咄嗟に確認してしまった自分が、滑稽だった。半年も前の、彼の手のひらの温もりを思い出した自分が、我慢ならなかった。 「……どちらまで行かれます」 15分ほども経った頃、女が尋ねた。 「もう結構よ。駅かどこか、適当な所で降ろして頂戴」 女は無言でウインカーを出し、ハンドルを切る。この辺りの地理に詳しいのだろうか、駅前にはすぐに出た。 「ありがとう」 ベルトを外し、ドアを開け、降りようとした麻衣子を後ろに座る男が呼び止めた。 「我々のこと、お聞きにならないんですか」 「依頼人は誰か、なぜ私を調べているのか、といった事かしら?」 アスファルトに降り立ちながら、答える。 「御同業の方と、何度かやり合ったことがあるからわかるのよ。依頼人第一、何があっても依頼人のプライバシーは守る。聞くだけ無駄ね。調査目的はわかりきっているし」 麻衣子はくるりと振り返ると、車内の二人の顔を交互に見た。 「こんなことをしたのは、あなた方に文句を言うためではありません。実は、あまりお金を持っていなかったの。タクシー代わりに使わせてもらっただけです」 それじゃあ、と言い残し、麻衣子はドアを閉めた。歩き出す麻衣子を、車から降りてきた男が引きとめた。二万円を手に握らされる。 「口止め料? こんなもの貰わなくても、騒いだりしないわよ、別に」 つき返した手を、やんわりと押し戻される。 「変装代、ということで。そこまでするのにも、ご入用だったでしょう。なにかと」 麻衣子はじっと男の顔を見つめる。そしてできるかぎり魅力的に笑って見せた。 「依頼したのは父ね?」 男は表情を変えなかった。けれど、即答しない事で、そうだと知れた。 「嘘つきの父親を持つと、男性の嘘には敏感になるんですのよ」 麻衣子は手の中の札をポケットに押し込む。 「ええ、父には内緒にしておきますわ。あなたの誠意に免じて」 麻衣子は踵を返し、歩き出した。今度こそ誰も、麻衣子を引き止めなかった。
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