さん、しい、5、を数えたところで、地面にぶつかった二色のボールを見て、上条麻衣子はため息をついた。 一向に上手くならないリフティング。先が思いやられる。 落ち込む、苛つく、そんな感情が湧くよりも素早く、背後から声がかかってきた。 「ホンマに下っ手くそやなあ、お嬢。これで小島ちゃんに勝とうなんて、無茶もええとこやで。いくら何でも」 「うるさいわね! 邪魔しないでちょうだい!」 振り返りもせず、佐藤成樹に言った。 このセリフは、まったく、今日何度目になるんだろう。
直線片思い
麻衣子にだって、ちゃんとわかっているのだ。 サッカーで小島有希に勝つのが、どれだけ無謀なことなのかなんて。 彼女がライバルとして相手にしてくれてすらいないことだって知っている。 小島有希にとっての上条麻衣子は、あくまでチームメイトなのだ。 最近では、悔しいことに、一緒にプレーするのが楽しくもなってきてしまっているから、対抗心を燃やし続けるためにも特訓は欠かせない。絶対欠かせない。 なのにコイツは邪魔をしてばかりだ。 「なんでそんなにがんばるんか、俺にはわからんなぁ。あきらめたほうええんちゃう?」 佐藤成樹はいつも、にやにや笑って言う。 別に、本心からのセリフではない。面白半分なのだ。知っている。が、腹立ちは別段収まることもなく、麻衣子は興奮そのまま勢いよく振り返って叫んだ。 「ほっといてって言ってるでしょう! どっか行ってなさいよバカ! 邪魔しないでって何度言ったらわかるの!」 そして、にやにやした顔めがけてサッカーボールを力一杯投げつけた。 桜上水サッカー部における上条麻衣子の興味は、ライバル・小島有希の上にしかないのだから。
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「あー、ユーウツ」と有希はため息をついた。 なんだか、苛々するような、じわじわ怒りがこみ上げてくるような、甘い物を食べすぎて胸焼けをおこしたような……つまり、嫌な気分だった。 大好きなサッカーのはずなのに、最近練習に来ると、そんな気分になることが多い。 ああやだもう、何コレ、原因原因、と考えて、有希はチームを見渡した。 たとえば上条麻衣子になら、そのやる気を尊敬しさえする。 シゲはふざけてばかりで話にならないし、ふざけてばかりなのに天性のセンスだけで上手くこなしてしまうところがカンに触ってしょうがないけど、羨ましいとは思わない。 アイツみたいには有希はなれないだろうし、なりたい、とも別に思わない。 でもーーと有希は首をめぐらす。 上条麻衣子と佐藤成樹のやりとりを眺めている、水野竜也。 サッカーに対する情熱は負けていない、体格もそんなに変わらない、才能だってきっと互角、サッカーの話だって対等にできる、そんな相手なのになぜか敗北感がつきまとうのだ。彼を見ていると。 多分彼はあまりにも有希と似ていて、でも彼は男だから。 桜上水サッカー部における小島有希の嫉妬心は、いつも水野竜也に向いてしまう。
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「まだやってんのか、あいつら……」 上条麻衣子をつっつき回しているシゲを遠目から眺めていた水野竜也が、シゲを止めようかどうか迷っていると、少し離れた所で救急箱を整理している小島有希と目が合った。 ちょうど良い、とばかりに彼女の傍に移動する。 「あいつら、どうする?」 「じゃれ合ってるだけでしょ? ほっとけば」 「上条涙目なんだけど」 「……それ気付いててなんであたしに聞くかな。止めなさいよあたしに聞いてる暇あったら」 「いや、上条しょっちゅうお前のことで悔し泣きしてるし、女子部キャプテンお前だし」 「あーそういえばそうね。あたしが相手のときだったらほっとくんだけど」 「相手、シゲだからな」 思案顔になる小島有希を見て、水野はどこかほっとしている自分に気付いた。 チーム内のやっかい事、とりわけサッカーに関係のない口喧嘩なんかについて、水野は小島に全幅の信頼を置いていた。小島の一喝で、不思議なことに大抵はカタが付くのだ。部費の管理や買い出しなんかもほとんど任せてしまっているし、女子部・男子部の垣根を取り払ってしまえば、真のキャプテンは水野でなく小島なのかもしれないな、と偶に思う。 小島がシゲと上条に近付き、何か言った。ほら、今だって、一発だ。上条麻衣子は涙を引っ込めたし、シゲは頭を掻きながら、仁王立ちの小島を宥めにかかった。もう大丈夫だなと安心して、ふと水野は思った。 シゲだって、頼りになる奴ではあるのだ。生活態度はともかく、ほんのひと言でプレーのイメージを共有できる素早さ、パスの時の意思疎通の取りやすさ。ピッチで竜也と同じ視点に立てるのはシゲの他にいるとしても小島有希ぐらいだろう。 ただ、シゲには、奇妙な同族意識の他に、絶対に俺には理解できない部分があるという直感がある。 キャプテンとしてチーム内を見回してみてもそうだ。 技術面やメンタル面で、シゲほど頼りになる(そして周りに頼りにされている)やつは居ないのに、コイツほど気分次第でチームに致命傷を負わせそうな、きまぐれな危険人物もいないのだ。 桜上水サッカー部における水野竜也の危機意識は、ほとんどの場合、佐藤成樹に集中している。
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小島島有希に怒られ、シゲはいったん上条麻衣子の傍を離れた。 遠目から彼女を観察する。まだまだ練習する気らしい。膝でぽんぽんとサッカーボールを蹴り上げている。 「うっわあ、よくやりよるよなあ……」 シゲは、誰に聞かせるでもない、独り言を呟いた。 「何時まで残るつもりなんやろ。そろそろ日落ちるのも早くなっとんのになぁ。真面目やなぁ」 「お嬢様って噂なんやけどなぁ、さっき膝小僧すりむいとったし」 「あ、転んだ」 その転び方が可愛らしかったので、つい笑ってしまった。 その声が届いたのか、彼女は真っ赤になって、サッカーボール片手に(あくまで、片「手」である)ずんずんとシゲの方へと近付いてくる。 このままここに居ればきっとまた怒鳴られるな、と思ったが、全く逃げる気が起きないのは一体どういうわけだろう。水野や小島があんな風に近付いてきたならば、シゲはさっさと逃げ出すに違いないのに。 不思議なことに、関わり合うのが面倒だと、彼女に関しては一度も思ったことがなかった。 「佐藤!」 怒鳴られて、シゲはさらに笑った。予想通りだ。どこまでも面白い。投げつけられたボールをキャッチすると、顔を真っ赤にして取り返しに来た。 もちろん、シゲは素直にボールを返したりはしない。ひょい、ひょいと両手でやり取りして、奪い返されないようにする。 ボールを必死に取り戻そうとする彼女は、猫じゃらしにじゃれる猫のようだ。 はっきり言って、可愛らしい。苛めたくなってしまう。
桜上水サッカー部における佐藤成樹の好奇心は、なぜか上条麻衣子に強烈にそそられてしまっていて、抑制がきかないぐらいだった。
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ベンチに座ってグラウンドを眺めていた松下は、コーチノートの端に書いてある図に、上条麻衣子←佐藤成樹と、矢印を新たに書き加えた。 うーむ、と呟く。 チーム内の人間関係の把握もコーチの仕事と、練習後の彼らを観察していたら、奇妙な図ができあがってしまった。 上条麻衣子から出ている矢印は小島有希に、小島有希からの矢印は水野竜也に、水野竜也からの矢印は佐藤成樹に、佐藤成樹の矢印は上条麻衣子に…… 要するに、桜上水サッカー部における矢印は、どこをとっても一直線。 二直線並行の「両思い」には、なかなか到達しない。 なるほど面白い、でもまあいいか、ともう一つ呟いて、松下はノートを閉じた。 チーム内の人間関係の把握もコーチの仕事、ではあるのだが、恋でもない感情の、しかも片思いの影響力なんてたかが知れている。 感情なんて、きっかけしだいでいくらでも恋になるということも知ってはいるが、まあ年長者としては素直に行く末を見守りますか。と、松下はタバコをくゆらせた。
この後、この4人のバランスはバタバタと崩れてゆくのだが、そして他の部員たちの目に付かないところで、密かに、攻防がくり広げられる事になるのだが、松下がそうと知るのは完全に収拾が付いた後。
平行線が2本、恋の矢印で結ばれてからだった。
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