ねこねこニャー/// site top / text index


「ねぇ、上条さん、ちょっといいかしら? このチョコレートクッキー、サッカー部の皆に、バレンタインにって作ってみたんだけど、味見してくれない?」

後から思い返すとするならば。
料理の腕は「殺人的」な夕子ちゃんのこんな申し出に、頷いた麻衣子が馬鹿だったのだ。

ねこねこニャー


「上条さん、ちょっとちょっと!」
調理室の入り口から半身乗り出している、三角巾にエプロン姿の夕子先生に麻衣子は突然呼び止められた。

女子サッカー部二年、上条麻衣子。
辛い物好きで、味の保証はないが、趣味は料理だ。

……まあ、仕方ないわよね。麻衣子はしぶしぶ、といった風に頷いた。
夕子ちゃんの料理の評判は聞いているから出来れば遠慮したいものの。
他でもないサッカー部顧問の夕子ちゃんの頼みで、しかも、バレンタインのプレゼントとなれば、男子に味見させる訳にはいかないし。

そんな思いで調理室に立ち入った麻衣子が、白いお皿にのせられたハート型のチョコレートクッキーに手を伸ばすと、突然夕子ちゃんは調理室の椅子を蹴立てて立ち上がった。
「あっ、やばっ、急ぎの仕事がまだだったの思い出しちゃった! 上条さんごめんなさい、あとで感想聞かせてくれる?」
麻衣子の返事を待たず、夕子ちゃんは調理室に麻衣子を一人残し、駆けだしていってしまった。

「……そそっかしい人ですこと」
周囲の人間からすれば、夕子先生と同じかそれ以上だと評される自分の事は棚上げにして、麻衣子は頬杖をつき、当初の目的どおり、チョコクッキーをつまんで(半ばおそるおそる)一口かじった。
甘い。
感想としては、その一言だった。
おいしいとか香ばしい、そんな感嘆は特になく、とにかく、”甘い”。
でも、他に変な味も匂いもしないのだから、夕子ちゃん作のチョコとしては、これで十分だ。
かじりかけのクッキーの残りを全て口に含んで、飲み下してから麻衣子はうんうん頷きながら言った。
『これなら、大丈夫なのじゃないかしら?』
言ったつもりだったのに、呟いた筈のそのセリフは、音にならなかった。
口から出てきた言葉は、ただ一言、
「にゃー」
であった。

にゃー。にゃー。にゃー。

3回言っても、やはり猫の鳴き声である。
麻衣子はじっと手を見た。
肉球がついていた。
ふっと気合いを入れると、爪まで突き出てくる。

……なんで猫?

呆然とする麻衣子の毛の生えた背中を、セーラー服がするりと撫でて抜け落ちた。

----------------------------

半開きの調理室から、猫の鳴き声がした。
シゲは足を止め、中を覗き込んだ。
学校に猫が迷い込むなんてことは無いはずで、不思議だったのが理由のひとつ。
もう一つは、シゲが単純に猫好きだからである。

カラカラと軽い音がする扉を開けて教室に入ると、調理室の白い机の上に、一匹の毛並みの良い三毛猫がいて、クッキーの乗った皿の周りををぐるぐる回っていた。
シゲが近付くと、何やら鳴き声を上げて慌てているような様子だ。
「ほいほい、別に悪戯なんてせんて、騒がんとき。どっから来たん、お前。クッキー貰ぅてたん?」
シゲがそのクッキーに手を伸ばすと、猫じゃらしにじゃれるように三毛猫が邪魔をし出したので、嫌がるその猫をシゲは胸に抱きあげた。見た目だけでなく、撫でてみても、感触のいい毛並みだった。よっぽど人に慣れていないのか、抱きかかえられたその猫は身を固くしている。
机の反対側に回り込んで初めて、シゲは椅子に脱ぎ捨てられたように散らかっている衣服を見つけた。
「誰ぞストリップでもしとったんかいな」
セーラーの上下だけならともかく、靴や靴下まで残っているのは、どういうわけだろうか?
セーラー服の胸元には名札が縫いつけられているから、誰の制服かは見れば判る。
シゲは見てみた。
上条麻衣子、としっかり書かれてある。
それは、目下のところのシゲの獲物――もとい、想い人の名であった。
「ええと……お嬢がストリップ? 中身は?」
シゲが制服を持ち上げようとすると、腕の中で固まっていた三毛猫が突然暴れ出した。
みゃあみゃあ鳴きながら、必死でシゲの手から制服をもぎ取ろうとしているようだ。

とりあえず、シゲは猫を机の上に下ろし、制服も椅子に戻した。毛並みのいい三毛猫は、椅子にジャンプして降りると、小さな四本足で必死になって制服を掻き集めながら、シゲを威嚇するように背中の毛を逆立てている。
「何、それ、そんなに大事なん?」
お嬢の制服守っとるなんて、この猫何モンや? 
見たとこ、雌みたいやけど。
興味を引かれて、シゲは猫が必死に守っている制服の端を引っ張った。勿論猫は躍起になって引っ張られた分を取り返そうとしている。
みゃあみゃあ騒ぎながら、必死に引っ張り返そうとしている様子は、誰かに似ている。シゲがからかったときのある人物の様子に、ものすごく似ている。
シゲは無情にも猫の体を持ち上げ、床に下ろして、その制服を取り上げた。
セーラー服一枚の感触ではなく、セーラ服の下に重ね着されている衣服も、そのまま収まっているようだ。
本当に、人間本体だけがすっぽり抜け出てしまったかのような状態になっているということだ。
「丁寧なこっちゃな。しっかし、中身のお嬢は、どこいったんやろ」
シゲが、脱ぎ捨てられた制服を抱きしめるように抱えると、目の前に、下着の肩ひもがせり出してきた。

……パステルイエロー。なるほど。

足もとにまとわりついていた猫は、一際大きく鳴き声を上げた。
……本当に、下着なんかも全部まるごと、この制服に入っているらしい。
「なるほど、これ見られるの恥ずかしがっとったんやな、お嬢は」
シゲは下を向き、毛並みのいい三毛猫に言った。
今までの騒ぎが嘘のよう。
猫はちょこんと床に座り込んでしっぽを垂れた。

「で、このクッキーを食べたら猫になった、ゆう訳なんやな」
と、元凶の夕子ちゃんのチョコクッキーをこっそり始末し、シゲは紙袋いっぱいになった、戦利品のチョコレートの下に上条麻衣子の衣服を隠して帰路についていた。
にゃーとしか鳴かない麻衣子と細かい意思疎通ができたことについては、シゲの言によれば「愛ゆえ」である。
胸元に抱いた猫に向け延々話しかけている様は、端から見れば不審だが、シゲはそんなことは気にするそぶりもない。
胸元に抱いている麻衣子に向け、
「お嬢のバレンタインチョコ、楽しみにしとったんやけど、こうなってまったなら、まあええわ」
などとシゲは言っていた。
むくれて、ぷいと横を向く様は、猫の姿はしていても、人間の時の仕草そのまま。
シゲがご機嫌取りで喉もとを撫でようと指を伸ばすと、ねこパンチではたき落とされた。
つれないのも、相変わらずらしい。
「とりあえず一日様子見よ、俺が面倒みたるさかい。腹へっとるやろ、何食べる? 猫缶? 魚? ねこまんま?」
胸で不満げな鳴き声を上げられたので、猫缶から人間の食べ物まで勢揃いしている道沿いのコンビニに入った。
胸に猫を抱えているのだが、堂々としていたからなのか、店員の視線はシゲをスルーである。
弁当コーナーをうろうろし、前足が指したオムライスをカゴに入れる。飲み物もいくつか買ったところで、チョコレートのある棚の前で、麻衣子がかすかに身動ぎをした。
「何、チョコも食べたい?」
しゃーない、買ったろ、とシゲはカゴに板チョコを入れた。

「もうええん?」
シゲの自室でオムライスにかじりついていた麻衣子は、結局半分ほど食べただけでケースをシゲの方へ押してよこした。皿に入ったミルクティーをぴちゃぴちゃと舐めている彼女に、
「そういや、チョコもあったやん。食べるやろ」
シゲがコンビニの袋から板チョコを取り出し、包装を剥がそうとすると、鳴き声と共にシゲの膝頭に彼女の前足がかかり、止められた。
「食べへんの、お嬢」
ほっそりしたしっぽがうねって畳を撫でた。答えあぐねているような仕草だ。
シゲはとりあえず畳にチョコを置いた。
前足で押すように、彼女がチョコを差し出した。シゲのほうへ。
これは、つまり……
「俺にくれるーゆうこと?」
今日はバレンタインなのだ。
彼女は、にゃあ、と肯定のひと鳴き。
「……おおきに」
にやけながら、シゲは言った。
元はシゲがお金を出したというのは全くどうでもよかった。
彼女が、シゲに、チョコをあげたいと思っている、そこが重要なわけで。
「ああもう、ホンマにかわええなぁお嬢」
シゲはそう言いながら、彼女の頭から背中を撫でた。微妙にこちらを見ないが、抵抗もされない。
恥ずかしがっているのだろう。それがまた、かわいい。
シゲは素早く彼女を抱き上げて仰向けになり、胸元で抱きしめた。
「お嬢が今猫やなかったら、襲ってまうとこやで俺。危なかったなぁお嬢。わ、暴れんな、痛っ」
腕に爪を立てられ、怯んだ好きに胸上から逃げられた。
「痛って、ホンマにもう、恥ずかしがりやなぁ。ええやん、俺とお嬢の仲やん」
にゃあにゃあと彼女が鳴いた。翻訳するなら、「何よ、何の仲よ!」だろうか?
そんなこんなでじゃれながら、夜が更けたので寝ることにした。勿論、布団はひとつである。

なんや、暖かいなぁ。
暖かいし、柔らかいし……なんか、気持ちええなぁ。
ふわふわと夢ごこちで、シゲがふと目を開けると、そこには彼女の顔――猫ではない、きれいな眉と整った鼻梁の、彼女の寝顔があった。
一瞬、状況が分からず、固まった。お嬢が何で。何で起きたら目の前に。しかも何で服を着てない、いつの間にそういう関係に。昨日? 昨日は、昨日は……
「(猫から)元に戻った?!」
半ば叫ぶようにシゲが勢いよく体を離すと、彼女は色白の面を軽く歪めて、寝起きのように唸ったかと思いきや、その白い体は見る間に縮み始め、毛並みのいい、猫の姿になった。
猫は目を開け、あくびを漏らすと、シゲの方を不機嫌に見すえる。
「……や、起こしてもうたか。スマンすまん。おやすみ」
言うと彼女は丸まり、再び寝入る体勢に入った。
毛並みのよい猫の体が、見る間に大きく白く滑らかになってゆく。シゲとは反対方向を向いた形で、シゲに背を向けて。
柔らかに伸びた黒髪をシゲは手で梳いた。そう、この感触だ、あの毛並みの感触は。
それにしても……寝てるときだけ人間に戻るなんて、そんな魔法みたいなこと、ありえるんか?
役得とばかりにシゲは麻衣子の寝顔をじっくり見、そのほかも見て、心底ラッキーと思った。

結局、その効能は丸一日で切れ、めでたく麻衣子は人間に戻ることができたのだが、人間に戻った後でもシゲがしきりに夕子ちゃんのレシピを知りたがっていたことが、謎といえば謎だった。



-------END--------

back

site top

text index