天使と堕天使/// site top / text index



天使と堕天使

金の髪をなびかせて駆け寄ってきた彼女は、俺の腕の中に、崩れ落ちるようにしておさまった。
白い羽は次々に抜け落ちて、俺の足元にばらばらと舞い散る。抱きしめる格好で彼女を支えた俺は、目をみはった。
 その胸元には、堕天の証。
「お嬢……まさか自分」
 潤んだ瞳は澄んだ青から、吸い込まれそうに深い、夜の色になる。
「ごめんなさい……いけないと、わかっているのに。禁忌なのに。それでも私は」
「なんで……なんでお嬢が」
 動揺して同じ言葉を繰り返す俺に、切なげな微笑をひとつ残して、彼女は意識を失った。
「お嬢!」
 俺は彼女を揺さぶる。彼女の金の髪が、毛先からすう、と黒に染まった。

「もうすぐだな」

声に振り返る。悪魔の男が、いつの間にか背後に立っていた。

「お前、いつの間に!」 俺は彼女を抱きしめる。「どうしてここにおるんや!」
「堕天使を見に」「アホなこと言うな! お嬢は、ちゃんと人間を愛しとる。生き物を愛しとる。なんで堕天なんかすんねや!」

堕天するのなら、誰一人、何一つ、本気で愛せはしない俺のほうだろう。なのに何故。

「……神のように、万物を愛す。万人を愛す。現世に在る、生きとし生けるもの、総てを。それが天使の掟だ」

「悪魔の癖に、よお知っとるやないけ」

俺は笑い混じりに恫喝する。悪魔は涼しい顔のままだ。

「天使は、禁忌を破れば堕天するものさ。俺のようにな」

悪魔は自嘲するように言った。
「天使の掟は、裏を返せば禁忌になる。決してただひとりを愛してはいけない。それが天使の禁忌」
「……なんやって」 
「皮肉だな、お前ではなく彼女が堕天するというのは。誰も愛さないことより、ただ一人を愛することの方が罪深いらしい。恨むなら神をーーいや」

悪魔の男は、俺の目を見る。「彼女に愛されても、愛し返せないお前自身を恨むんだな」

次の瞬間、悪魔の姿が掻き消える。
「くそっ」

俺は腕の中の彼女をふたたび揺さぶった。

何故、俺なんかを愛する? あんたに優しくしたことも、愛したこともないのに。

いくら愛情を与えられても、俺は返せはしないのに。

髪に目に胸に、堕天の証を刻まれてまで。

「お嬢!」
腕の中から、黒い風が吹きはじめる。禍々しいーー悪魔だけが纏うはずの黒気。天使にとって毒であるそれに、指も腕も頬すらも傷つけられ血が吹き出す。それでも俺は揺さぶり続けた。

「お嬢、目ぇ覚ませ! まだ間に合う、俺なんか嫌いになればええんや、お嬢!」

彼女はうっすらと目を開けると、両手で俺の胸を強く押した。目を開けた彼女に気をとられていた俺は、突然加わった力に抗えず、腕を緩めてしまう。彼女は俺の両腕から逃れると、自分の髪の色を見、唇を噛んだ。

その両目から、涙が溢れる。

「お嬢」

「近づかないで……傷つくだけだわ」彼女は泣きながら笑い、黒い瞳で俺を見つめる。

「ごめんなさい、傷、そんなにいっぱい」

 彼女の翼に、黒い羽が生え揃う。

「お嬢……待て、お嬢!」

彼女の瞳が、ゆっくりと閉じられる。

黒い髪はふわり舞い、黒気が体を包むように巻きながら、凝縮する。

  ごめんなさい……あいしてるわ。

小さく言い残し   その姿が、掻き消えた。

「お嬢!!」

叫び声が虚しく響いた。

   彼女は、堕天した。




end



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