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花を揺らす鳥 8
「おはよう。二日酔いは大丈夫?」
携帯で連絡を取り合った後、ロビーのソファに座っていた有希は、麻衣子からそう声をかけられた。 「あーうーおはよう?」 「どうする、ごはん。まだレストラン開いてるけど」 「あー、どうしよう……」 有希は迷った。正直、麻衣子と顔を合わせるのが微妙に気恥ずかしい。でも、有希は体が資本の職業である。何があっても(体調不良でないかぎり)朝食はしっかり取るのが有希の主義だ。 「食べることにしようかな」 早速、バイキング形式の朝食をとることにし、二人は皿にサラダやパン、卵料理などを乗せていった。 オレンジジュースと牛乳を取って席につくと、麻衣子に驚きの視線を向けられ、有希はじっと自分のメニューと麻衣子のそれを見比べた。 ざっと見て、三倍の量の違いがあるようだった。 有希は軽く手をふりつつ言った。 「昨日、戻しちゃったらしいから。お腹空いてるのよ」 「……まあ、有希なら基礎代謝もいいんでしょうから。そんなに食べて太らないなんて羨ましいわ」 「朝なら大抵何食べても大丈夫よ。夜はさすがにマズいけど」 「私は、朝からケーキは食べられないわ」 デザートで一皿を占める有希のメニューに、麻衣子は眉をしかめる。 「そう? あたしはこの後ハシゴしてもいいくらい。久しぶりに、日本の美味しいデザート食べたいなぁ」 アメリカのお菓子は甘みが強すぎたり味気なかったりで、チョコレートひとつ、クッキーひとつとっても、おいしいと思えるものにはなかなか出会えなかった。留学中、あの甘さがどれだけ恋しかったことか。朝見たニュースでも、季節のスイーツ特集をやっていて、とても美味しそうだったのを思い出した。 麻衣子はあきれたような顔をして言った。 「……よかったら付き合うわよ。私はお茶だけにするけど」 ぽつぽつと世間話を交わしつつ、食事は進んだ。 何か昨夜の事について聞かれるのでは、と内心びくびくしていた有希だったが、そんな気配はまるでない。麻衣子は、むしろひとりで物思いにふけっているようだった。 「どうしたの? ため息ばっかりじゃない」 「なんでもないわよ」 麻衣子はサラダをつついていたフォークを置く。 「食欲ないじゃない?」 「そんなことないわ」 「じゃ、シゲとケンカでもした?」 首が振られ、彼女の黒い髪が揺れた。 「ケンカなんかしてないわよ。多分、すごく上手くいってる」 「じゃあ、どうして」 「もう、これ以上は彼に近づけない気がするの。昔は、遠距離でずっと不安だったし、彼の気持ちにも確信が持てなくて、だからそのせいだと思ってた――寂しいって感じるのは」 「寂しいの?」 「そう。……変よね、彼が好きだし、好かれてるとも思うのに、寂しいだなんて」 「えーと……そりゃ、さっきまで一緒にいたのが、いなくなっちゃったんだから。寂しいのが当たり前なんじゃないの?」 「そうじゃないの。彼がそばにいても寂しいって思うのよ。むしろ、彼の傍に居るときの方が、つよく感じるかもしれない」 「ええ?」 麻衣子は紅茶をスプーンでかき混ぜながら言った。 「ホントは、原因は分かってるんだけどね。――あの人の好きと、私の好きは種類が違うから。 だって、あの人には恋だけじゃなく、大事なものが沢山あるんですもの」 有希は、自分のこともあって、反射的に尋ねた。 「サッカーとか?」 「それは、もちろんそう。でも、それ以外にも、友達とか、商売とか、……仕事とか、色々夢中になってるわ。趣味だって多くて、何がなんだかもうよく分からないし」 「でも、それと恋とは別でしょ」 「勿論そうよ。私だって、恋と天秤にかけろなんて言わないわよ。でも多分、」 麻衣子は一度言葉を切ってから続けた。 「多分、彼は私のこういう切実さを一生理解できないと思うわ――私が彼の、色々な事を同時に抱えて矛盾なくこなしてしまえる性質を分かってあげられないのと同じで」 麻衣子の深刻な表情に、心配になった。 「何よ、まさか別れるとか言わないわよね?」 「言わないわよ。寂しくても、紛らわす方法はいくらでもあるもの」 「例えば?」 「料理とか、洗濯とか……主に家事?」 「ねぇ、その……」 「なに?」 珍しく歯切れが悪い有希を訝しんだのか、麻衣子は心配そうな顔つきになった。 「どうしたの?」 「うーん、どう言ったらいいのか」 有希は困って額に軽く触れる。 「そういう寂しさって、その、一緒の部屋に泊まるような深い仲になっても解決しないものなの?」 「あぁ、そういうこと。 寂しく無くなると思えばそうかもしれないし、もっと寂しくなると思えばそういうものかも」 「??」 「結局、変わらないわ。体がどうこうって、実は心の距離には関係ないんじゃないかしら」 「ええぇ?」 それって、一般的に言われている事と違うんじゃない? と有希は思う。 「有希と水野が羨ましいわ」 麻衣子は微笑ってそう言った。 「あなたたちの関係って、理想なんじゃないかしら。連れ添って長い夫婦みたいに安定してて――私はそこまで進める気がしないもの」 「それって、全然褒めてないわよ」 「褒めてるわよ。隣にいるとしっくり来るんでしょ?」 夫婦どころか、キスしかしてないんですけど、とは思っていても言わないけど。 でも、本当に、変わらないものなんだろうか。シゲと麻衣子のやり取りを見れば、お付き合いの順調なカップルにしか見えない。 「ごめん。そういう寂しさって、よく分かんないや」 会いたいと思うとき、会いに行けないくらい、距離があるのはやっぱり辛い。二人で会っていて、別れ際に悲しくなることもある。でも、近くにいて寂しいというのは、有希には分からない。 「そうね。私にもよく分からないわ」 苦笑しつつ首を振った麻衣子に、 「もうさ、結婚しちゃえば?」 有希は軽く言った。 「一緒に暮らして、シゲの世話焼いて、家事に忙しくしてればいいんじゃない? 一石二鳥かもよ」 「……そうね。結婚しても、結局は同じでしょうから」 麻衣子は遠い目をして言った。 同じって、近くに居ても寂しいってこと? 結婚しても? 予想以上に深刻な様子に、有希は腕組みをした。 「何か、結婚に対する夢も希望もなくなる話ね、それって」 「違うわ、一般的な話じゃないのよ。……あの人は、だれかのものにはならない人種だって気がするの。でも、せめて私が想うのと同じくらい好きになってくれたらよかったのに」 「今でも、シゲはうざったいくらいあんたの事好きだと思うわよ」 「でもそれって、子供みたいな独占欲でしょう?」 「そう言われるとなぁ……でもそもそも、男と女で『好き』の性質が違うのかもしれないし」 「男と女っていうより、人によってなんじゃないかしら。有希と水野はそっくりね」 「まぁたそう言う」 「だって、本当のことでしょう?」 「知りません水野の事なんて! もー」 有希が顔を顰めるのを見て、麻衣子が笑った。 「やっぱり、有希と話してると違うわね」 「何が?」 「こんな話すると、みんな贅沢って言うもの」 「そういうものかもね」 有希は頷いた。シゲは一応有名人だし、愛されているのは間違いないのだし。 「でもシゲだからねぇ。友達としては、あんまり勧められない相手よね」 「水野はいい相手よね。私とは合わないでしょうけど、世間的には」 「どうしてそこで水野が出てくるのよ」 「だって――昨日、勝手なことしちゃったし。有希、落ち込んだりショック受けてたりしない?大丈夫?」 「あーもう、聞かないで、そのことは」有希は力なく手を振ってみせる。人に話したりしたら、恥ずかしさで死にそうだ。 「聞かないわよ。ケンカさえしてなければいいの」 微笑った麻衣子の携帯から、着信音が聞こえた。メールの到着を知らせたものらしい。 画面を覗き込んだ麻衣子の表情がふっと緩む。有希は、メールの送り主にぴんと来た。 「シゲから?」 「そうよ。きっと、無事ホテル出たかどうか気になったのね。今、水野の家に居るんですって」 すっと伺うような視線を上げた麻衣子に、 「どうぞ。返事して。気にしないから」 「ごめんなさい」 軟らかい表情で、麻衣子は返事を打ち始めた。
レストランを出る時、気になっていた事を、有希は聞いてみた。 「麻衣子、今、幸せ?」 彼女は半身だけ振り返って、笑って言った。 「……ふくざつよ」 表情は、最高にきれいに微笑っていた。でも。 そんなにきれいに微笑えるのに、手放しで幸せって言えないなんて。 恋愛って、奥が深い。 有希は恋に関する認識を改めて……改めているとなんだか、頭痛がしてきた。 こめかみを手で揉みながら、この先が思いやられてかな? と一瞬考えた。
でもそれは、単に二日酔いのせいかもしれないし、ひょっとしたら、寝不足のせいかも知れない。と、前向きがモットーの有希は、潔く考え直したのだった。
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