花を揺らす鳥 7
「幸せすぎて怖い」 ロビーで落ち合ったシゲは、そうため息混じりに漏らした。 「いきなり、何だよ」 「一晩中一緒におったん、昨日が初めてやもん。まだキスマークも付けとらんのに、贅沢してもうたわぁ。小島様々やな」
そろそろ、体に跡ぐらい残したいらしいが、後々のことを考えると微妙に怖いのだという。 今から上條麻衣子の親の影を感じ取って怯えているのだろうか。それはずいぶん気が早いことだ、と水野が思っているところへ、シゲはぽつりと零した。 「あー、結婚したい」 「はあ?」 「お嬢のこと、俺のもんにしたい」 シゲはため息をつく。表情を見るに、いつもの茶化した様子がない。真剣に悩んでいるようだ。 「だったら、プロポーズすればいいんじゃないか」 「もうした。学校出るまで無理やって」 「は? お前マジでプロポーズしたのか?」 「おお。一線越えてすぐ。俺はもう稼いでるし、何ならお嬢の大学の学費も俺が持つって言ぅたんやけどな」 「……シゲお前、本気か?」 「まあ世間一般から見れば若すぎるんやろし、お嬢のご両親が反対するんも目に見えとるから、お嬢が断るんは無理ないんやけど」 はぁ、とまたため息をついたシゲを、水野は驚きの籠もった視線で見た。 一見遊び人風に見える男だ。本気になりそうもないからと、恋愛対象としては敬遠されそうなものだが。 「すげぇな……」 水野はシゲを見直した。 「そんな真剣に付き合ってたんだな」 「当たり前やで。なんで遠距離になってまで付き合い続けとる思てんねん。嫁さんにするんも、子供産ませるんも、お嬢しか考えられん。でもなあ……一線越えたら、我慢が利かんようになってなあ……」 シゲはまたため息をついた。 「お嬢に側にいて貰わんと、もうアカン気がすんねん」 「骨抜きかよ」 「そうなんやろな。情けないわ」 あきらめと悔しさがないまぜになったような表情で、シゲは肩を落とした。 「何て言ぅたらええか……お嬢って、一見冷たそうに見えて情に厚いっつーか。包容力があるっつーか……俺が自分の中で一番嫌いな所とか、俺の弱くて汚い所でも受け入れて、しかも大事に抱えて守ってくれてる気ぃすんねん」 「……要するに、上條に愛されてるって言いたいのか?」 「そうなるんか? 自分じゃわからへんけど。まあ何にせよ、もう離れられんと思うわ。参ってもうた―、もうどないしよか?」 「お前は意外と、結婚して伸びるタイプなのかもな」 水野は何げなく言った。 一匹狼の雰囲気があった頃からすれば考えられないことだが、今は家庭持ちになって落ち着いたシゲの姿を簡単に想像できた。 きっと、上條がいたから変わったのだろう。上條麻衣子なら、この先もシゲを上手く支えてくれそうだと思った。 「結婚式には呼んでくれよな」 「おお、小島ちゃんとセットで呼んだるで」 しっかし、いつになるんやろなぁ、と言ったシゲに、水野は苦笑を返した。 「きっと、お前が同年代の中で一番早く結婚するって」 「だとええけど」 いつになく弱気なシゲに、水野はやれやれ、と思った。 「恋する男は辛いな」 「それはお互い様やで」 「……そうか?」 「この野郎、余裕こきよって。ちょっといい目ぇ見たからって、いい気になるなや?」 「なってねえって」 水野はシゲの拳を手で受け止めながら言った。 「お前の悩みは贅沢すぎるんだよ。現状に満足することを覚えろ」 「そんな態度やから、小島ちゃんと先に進まんねや」 「あんまりごり押ししてると、上條に逃げられるぞ」 「ここまで来て、誰が逃がすかいな」 その時、ぐう、と水野の腹が鳴った。 「……まぁ、まずメシ食うか」 「そやなぁ。腹減ったしな」 ふう、とどちらともなくため息をついた。 空腹には勝てない。一時休戦となった。
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