小島有希がサッカー留学のため、単身渡米してから4年あまりが経った、ある冬の日。
小島の、3か月ぶりの一時帰国にあわせ、水野・上條麻衣子・藤村成樹は集まることになった。
幹事はシゲと上條麻衣子だったので、二人の話し合いと知恵の出し合いの上、こんな具合に、作戦は決行された。
花を揺らす鳥 5
「お待たせ」 金髪をがしがしとタオルで拭きながら、シゲはバスルームを出た。 薄暗い部屋の中に、恋人の姿を捜す。 シティホテルにはよくあるベージュ色の遮光カーテンの端が、少しだけ開けられていた。 カーテンの隙間はからビル群の光が見える。浴衣姿の彼女は窓辺に立って、そんな風景に見入っているようだった。 近付いてゆくと、ふっと冷気を感じた。窓が開いているようだ。ホテルの部屋の全ての窓がそうであるように、少しだけしか開かない窓だが、今は冬だ。吹き込んで来る風は冷たい。風呂上がりのシゲにはちょうど良い涼しさだが、浴衣一枚の彼女にはどうだろう。 「そんな格好で窓開けとったら、風邪引いてまうで。何見とんの、お嬢」 彼女は笑ってシゲを振り返った。 「シゲ、見て頂戴。下の道路、車が全然走ってないの。凄いわよね。普段、あんなにいっぱい走ってるのに」 「そりゃあ、もう夜中やからな。終電も終わってもうたし」 「みんなもう寝てるのかしら」 「大体はそうなんやない?」 シゲは、尚も窓の外を眺める彼女を、後ろから抱き締めた。 「やっぱり体、冷えとるやないか。ほら、さっさとベッドに入りぃ」 「まだ寒くないわよ」 「酔っぱらっとるからわからんのや」 不満げな彼女を抱き上げ、ベッドに連れて行き、横たわらせる。そのまま上に覆い被さろうとしたシゲの胸に、彼女はぴたりと両手をあてて言った。 「待って、シゲ。窓、開けっ放しよ」 シゲは彼女に近付きつつあった体を止める。 「……お嬢」 「朝起きて、風邪引いてたらあなた困るでしょ?」 シゲは『待て』の体勢を取らされたまま、彼女と見つめ合った。 悪戯な光を放つ彼女の瞳に根負けした。 「……お嬢の意地悪」 シゲは渋々体を離して窓を閉めに立ち上がった。 「ここまで来て、焦らさんでもええやんか」 「だって、夜は長いんでしょ?」 「そうやけど。ちったぁ、男心ってもんを考えて欲しいなぁ」 ホテルまで来て、何で好きな女にお預け喰らってるんやろ。 窓を閉めながら呟くと、彼女の笑い声が聞こえた。 嬉しそうだ。この状況を楽しんでくれているらしい。シゲは心の中でガッツポーズをした。 この企みに彼女が乗ってくれて、本当に良かった。 帰国した小島有希と久しぶりにゆっくり話そう、成人もしたことだし、お酒も入れて。女同士で外泊するから、と家族には伝えておいて、水野と四人で、時間を気にせずのんびりと。 ……そう、小島有希と水野竜也を誘ったのだが、実は、シゲと上條麻衣子の間では、違う企みがあった。 付き合って5年以上にもなる二人だが、キス止まりの関係だというのを、シゲも麻衣子も知っている。遠距離恋愛が長く、タイミングが測れないでいるのかもしれない二人に、一肌脱ぐ作戦だった。
四人の食事場所としてシゲが予約したのは、少々値は張るが、色々な種類のお酒を取りそろえている店だ。特に、女性の好きそうなカクテル系のメニューが豊富で、リキュール分も濃く、甘くて美味い。口当たりが良いので、油断していると、つい飲み過ぎてしまうのだ。 その店で、シゲと麻衣子は協力して、あまり飲み慣れていない小島有希に、強いお酒をさりげなく飲ませ、ふらふらになるまで酔っぱらわせた。『泊まる』と家族に言ってあるから、家に帰らなくてもいいし、手近なホテルで休ませよう、となるのも自然な流れ。ツインを2部屋取ったことだって、水野は不審に思わなかった筈だ。 チェックインしたホテルの部屋、水野が酔っぱらった小島有希を寝かせているのを尻目に、シゲと麻衣子がその部屋を後にするまでは。 水野は、有希と上條麻衣子が一緒の部屋で休むと思いこんでいたに違いない。 「じゃ、タツボン、後は宜しく」 そう言い残して、部屋を出ようとするシゲと麻衣子の背中に、水野は。 「おい、上條、どこに行くんだ? 有希と一緒に泊まるんじゃないのか?」 と言ったのだから。 シゲは、振り返ろうとしている麻衣子の肩を抱いて言った。 「野暮やって、タツボン。お休みぃ〜」 そうして、二人並んで、部屋を後にした。待てとか言われたが、気にしなかった。
以上が、企みの全容だ。 もう一部屋のツインルームに入った後、交代でシャワーを済ませてのシゲと彼女の現在の状況である。
開いた窓を閉めたシゲが、再びベッドに近付くと、彼女が言った。 「上手くいってるかしら?」 「何が」 「あの二人よ」 「さあなぁ」 「気にならないの? わざわざ計画したの、あなたなのに」 「お膳立てはキッチリやったさかいな。あとはアイツの甲斐性やもん」 「……そういうもの?」 「そ。俺ができるのはセッティングのみ。後はもう知らん。フォローもせえへん。ここまで来たら、タツボンの度胸次第。」 隣に寝そべるシゲに、彼女が眉をひそめて聞いた。 「……度胸? 口説き方じゃなくて?」 「あんなに飲んだら、小島ちゃんは意識なんて残っとらんやろ」 「え? 嘘、じゃあ何、有希の意志は関係ないの?」 彼女は表情を曇らせ、黙ってしまった。女性の立場から、何か考えているのだろう。でも、男にだって言い分はある。 「5年も付き合うとったら、そろそろええんと違う?」 「だって、ずっと遠距離だったじゃないの」 「だったら余計、我慢することないやんか」 「違うわよ。だから余計に、ちゃんと心が通じ合うのが大事なんじゃないの」 起き上がろうとする彼女を、シゲは体で押さえた。 「もう、シゲ!」 「相手はタツボンやし、大丈夫やって」 「何言ってるのよ! 後で有希が泣いてもいいって言うの? 私たちにも責任あるじゃないの」 「だからって、二人の部屋行ってどないするんや? もう二人っきりにして一時間は経っとるやろ。何がどうなってるにしても、お邪魔やって」 「そうかもしれませんけど、でも!」 「大体、小島ちゃんに手ぇ出せるかどうかは、タツボンに酒入ってたん勘定しても、いいとこ五分五分やで。あいつ律儀やさかいな」 「紳士なのよ! あなたと違って!」 彼女は軽くむくれた様子だったが、すぐに息をつき、力を抜いた。普段の水野の態度を思い出し、安心したらしい。
上條麻衣子の、水野に対する認識は、まあ正しいといって良いだろう。 だが、シゲに言わせれば、そういった種類の信頼を得ているということは、男の本能に手枷足枷をはめられているようなもの。寄せられる信頼が、好きな女性からのものなら、なおさらである。そう簡単には信頼を裏切れなくなり、手を出すタイミングがつかみづらい。安全な男は、『男』に成りづらいのだ。 上條麻衣子もシゲも、水野がそう簡単に狼になれる男ではないと知っているのだから、小島有希だって知っているだろう。狼どころか、あまりにも安全圏な印象で、それが仇になってか、留学していて偶にしか日本に帰ってこない小島有希と水野は全然関係が進展していない。 そんなことを心配をしたシゲが計画した作戦で、上條麻衣子は協力者の一人でもあるが、勿論、それだけではない。シゲにはちゃんと別の目的があった。
「なあお嬢、もうそろそろ、俺の事だけ考えて欲しいんやけど」 「貴方の事?」 「この状況やで?」 シゲは自分が組み敷いている彼女の姿を見た。 もともと着付けが上手くできなかったのか、浴衣の着方がラフだった上、シゲの下で暴れたから、すっかり着乱れていて、胸元の白さが眩しい。 彼女の唇に軽く触れ、指先で鎖骨をなぞると、彼女は驚いたようにシゲの手と顔を見、しばらく照れたように視線を逸らしていたが、 「……そうね」 と言ってシゲに向き直った。 「わかったわ。後はあなたのことだけ考える」 彼女の手がシゲの頬に伸びてくる。シゲは、その手のひらにキスをし、舌を這わせた。 「くすぐったいわよ」 逃げる彼女の右手首を捕まえ、ベットに軽く押しつけた。 「シゲ?」 「もう逃がさんで」 シゲは彼女にのし掛かるように体を預け、唇を重ねた。熱くて柔らかな彼女の肢体の感触を体に感じ、じわじわと欲望が大きくなってくる。 シゲの背中に回された手が、途方もなく愛おしかった。
続く
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