花を揺らす鳥 4
何も変わらないまま、あっという間に二ヵ月がたった。 有希を見送るため空港へ行った水野は、待合室に有希の家族の姿がないことに少なからず驚いた。 これから半年も日本を離れるのに、家族の見送りがないとは珍しい。 「両親は、まぁいいかって感じだったんだけど、お兄ちゃんは来るって聞かなくて大変だったのよー」 と、本人はあっけらかんと言っていたが。
到着便を待つ間まで、二人でベンチに腰かける。 意外に、発着のエンジン音が聞こえない。 外に出れば聞こえるのだろうが、ここは静かだ。 あるのは、人の喧噪と、搭乗案内のアナウンス。 「ねえ、水野」 「何だ」 「あたしたちってさ、一応、彼氏彼女なんだよね」 一応は余計だ。 「そうだろうな。付き合ってるんだから」 「……付き合って、長いよね」 「もうすぐ2年経つな」 「だよねぇ」 有希が不意に言葉を切った。 その横顔を覗くと、なんだか思いつめたような顔をしている。何か言いにくいことでも言うつもりだろうか。 「遠距離は無理だし、もう付き合うメリットもないから別れましょう」とか、「好きな子できたら教えてね、別れるから」とか、思わずそんな想像をした。 「帰ってきたら、真っ先に会いに行くから」なんて殊勝な言葉を聞くこともないだろう。
「ねぇ、水野」 「……何だよ」 こっちを見ない小島有希。 「おい、小島。何だよ?」 「……2年も付き合ってて、小島って呼ぶの、おかしくない?」 「お前も水野って呼んでるだろ」 「水野は水野でしょうが。他の呼び方なんて考えつかないもん」 頭上に搭乗開始のアナウンスが響き、二人とも意気をくじかれて口をつぐんだ。 「……何で、口喧嘩してんのかしら」 「……そうだな」 もうほとんど時間がないのだ。喧嘩をしている場合ではない。 「小島って呼ばれんの嫌なのか」 「べつに、そんなんじゃないけど」 「じゃあ何」 「だから、それは……」 小島は一瞬目を合わせ、すぐに逸らした。 心なしか、小島の頬が赤みを帯びている気がする。 でもきっと気のせいだ。 赤くなるキャラか、この女が。 ただ、この視線が一定しない、落ち着かない感じとか、はっきり物を言わない態度とか、普段の小島らしくない。 なんだか目が離せなかった。 「……だから、ね」 「おい。搭乗いいのか、乗り遅れるぞ」 「あーもう、まだ大丈夫よ! うるさいわね! ちょっと待ってよ」 そう言い、深呼吸をしている。 「おーい、小島? 飛行機に緊張してんのか? 大丈夫だって、落ちないって」 「違うわよ! 不吉なこと言わないでよ!」 「どうしたんだよ……」 小島は、水野の顔を見ないまま、Tシャツの袖を引っ張って言った。 「名前呼んで」 「はあ?」 「いいから名前! 早く、時間無いんだから!」 よくわからないが、ここは素直に。 「有希。これでいいか?」 「……」 「おい、有希、言ったぞ。何だよ」 ひょっとして、名前を呼んで欲しかったのだろうか。 アメリカに行く前に? それは何とも、可愛らしい話だ。 小島らしくない話、ともいえるが。 「……有希、これで良いんだろ?」 「水野、キスして」 小島の顔色が、言ったとたんに真っ赤に変わった。 「……な」 「大体、2年近く付き合ってキスもしてないなんて絶対おかしいと思う!」 堂々と言い切ったが、赤面しているので効果は半減だ。 水野は笑った。頭を抱えたくなった。 この女は、全く、一筋縄じゃいかない難物だ。 「あのなあ、有希」 ひとしきり笑ってから水野は言った。 「キスして欲しいって、素直に言えない?」 「なっ! あのねぇ、あたしはキスしてほしいんじゃ無くて、キスも無いのはおかしいから、ほら、アメリカ行く前にけじめとして――」 「いや、同じ意味だろソレ」 「違う!」 「同じだ。恥ずかしがってんじゃねぇよ、バカ」 「バカって何よ、バカって! いい、もういいわよ! 水野なんか知らない! バイバイ!」 立ち上がった小島の二の腕を掴んで引き戻し、ベンチに座らせる。 「……なんか、面白くない」 水野が笑っているのが気に入らないのだろうが、勘弁して欲しい。これが笑わずにいられるか。 拗ねるように膨らんでいる頬に、水野は手を添え、軽く唇を重ねた。 数秒で離れる軽いキスを何度も。 「……水野、ひとまえ」 何度目かに、小島が言った。 「せがんだくせに」 そう答えて、これが最後と長めに熱を重ねる。 搭乗を促すアナウンスが鳴り響いた。
滑走路をゆっくり進み、飛行機はその巨体の重量が嘘のように空へと浮かび、飛んでゆく。 「行っちまったな……」 水野は、思わず独り言を漏らした。 「おお、無事着きよるように拝んどくか」 なんだか水野の独り言に答えたようなタイミングでのセリフに振り返ると、南無三! とか何とかいいながら手を合わせている金髪の男、約一名。 「おい! なんでここに居るんだよ!」 怒鳴った水野の目の前に、ベンチの影からぞろぞろと出てきた、元桜上水サッカー部約7名。 「せやかて、邪魔したら悪いやんかー」 あっけらかんと言ったのはシゲだ。 その他の面々は、顔を赤くしていたり、視線を逸らしていたりで、マトモに返答が返ってこない。 コイツらは…… 「……お前ら、ずっと見てたんだな?」 「ダチの晴れの出発やんかー、普通見送りにくるやん」 「お前は黙ってろ!」 シゲの頭を軽くはたいたところで、目が点だったジャッキーや森長がようやく我に返った様子で話し始めた。 「小島が海外行くならやっぱ俺らも嬉しいしさ。せっかくだから送りに行こうって事になって……水野だけ呼ばれてたから、気は利かせたつもりだったんだ」 「普通に挨拶してる位なら、俺らも出てくつもりでさ。でも、そんな雰囲気じゃなかったから出そこねたっていうか」 「そうそう、思いのほかラブラブでって、痛って、殴るなやタツボン、こんな公衆の面前で」 公衆の面前で。 そう言うセリフが咄嗟に出てくるあたり、この友人は本当にタチが悪い。 「……どーでもいいけどな、見てたこと、小島には言うなよ」 水野は、それだけは、という気持ちで言った。このことが小島に知れたら、どうへそを曲げる事やら。 素直に頷いたチームメイトの中で、 「小島やなくて、『有希』やろ、タツボン」と言った金髪だけが難物だった。 そのやけに甘ったるい言い方に腹が立って、水野は拳を振り上げた。
「俺もうかうかしてらんないな」 「そうやなー。小島ちゃんなら、日本代表くらい本気で狙っとるやろからな」 水野はため息をついた。 「恋人ってよりか、ライバルって思われてるんだろうな、どちらかというと」 「ああ、小島ちゃんならありえそうやなー」 頷くシゲ。そこは否定して欲しかったのだが。 まあいいか。 ところで、と水野は切り出す。 「お前、上條とはどうなんだよ。上手くいってるのか?」 「そらぁもう」 自信ありげにシゲは笑う。 「上手くいけば、小島ちゃんが帰国する前に、行き着くトコまで行っとるかもしれんで」 水野の肩に乱暴に腕をまわしつつシゲは答える。 「今日も一緒に行こうて誘ったんやけど、野暮やからーゆうて断られてな」 「それが普通だ」 水野は腕組みをし、シゲを睨んでやった。全く、幸せそうで結構なことだ。 いつもならそのまま流して済ませているが、今日は反撃してやりたい気分だった。 「意外と、浮気してたりしてな」 「は、誰が? 俺?」 「いや。上條」 「聞き捨てならんな。お嬢はそんな軽い女ちゃうで」 「年上の――大人のいい男が結構周りに居そうだろ、上條の家って。彼氏は軽いし、大人の魅力で口説かれたらよろめくんじゃないか」 「俺のどこが軽いって?」 「お前って、初対面の女性を褒めなかったことあったか?」 初めましての次、二言目には、口説き文句さながらの口上が出てくるのがこの男だ。 「あんなん言葉遊びの範囲やろが。サービス精神旺盛なだけや」 「判断基準は上條がどう取るか、だろうけどな」 「てめっ、そんなんしたら、俺かてあることないこと小島ちゃんに言いつけたるからな」 「あいつは鼻で笑って終わりだよ、きっと」 言ってから、いや、そうでもないかな、と水野は少し思い直した。 今日小島が見せた表情。付き合って初めて知った一面だった。 きっと他にも、まだ水野の知らない顔があるのだろう。知るのは一体いつになるのかわからないが。 気は長い方だ。 楽しみは先にとっておく方でもある。 ……もう、どこまで行っただろうか。 空にたなびく飛行機雲に、今頃は海の上にいるだろう彼女を想った。
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