花を揺らす鳥 3
競技場の階段を降り、ロッカールームに入ったとたん、シゲの頭はサッカーのことから、他の悩みへと切り替わった。 昨日会った、赤いマフラーを巻いた彼女の姿や表情が、どんどん頭に湧いてくるのだ。 ずっと遠距離恋愛で、昨日は久しぶりに会ったというのに、つれないというか、どこか怯えたような態度を取られてしまって、シゲは昨晩なかなか寝付けなかった。 ボールを見つめ、走り回っている間は忘れていられるのだが…… また小島有希に相談するしかないか、とシゲはため息交じりに思い、小島有希の彼氏である、水野の姿を探した。
普段、涼しい顔をしているが、水野の気性は基本的に嫉妬深い。 水野の知らないところで、ちょくちょく小島有希と連絡を取っているなんて知れたら、冷たく当たられるにきまっている。本人はぜったいにそうは認めないから、陰険かつ無意識に。 だから以前は、水野がいる時に水野の携帯を通じて話をすることで、一応の礼儀を立てているつもりだったのだが、半年ほど前に水野と小島有希の両方から文句をつけられて以来、そういうことはナシにしたのだ。 まあ、水野が居ないときに小島に電話したとしても結局、水野にそれとなく電話内容を申告しなくてはいけない目に陥るのだが。水野は嫉妬深い。おそらく本人は自覚していないだけに、全く、タチが悪い。
水野の姿を見つけて、シゲはまえに小島有希と交わした会話を思い出した。
「最近の麻衣子の様子? 嫉妬深いって、愚痴られたわよ、この間。ひとまず、愛されてる証拠だって返しておいたけど」 「お嬢は自分の立場をわかっとらんのや」 シゲはプロリーグでプレーしていることもあってか、大人っぽいとよく言われるが、所詮高校生でしかないのだ。大人の手練・手管には及ばない。時間や労力を厭わなければ、シゲの存在など関係なく、確実に彼女を落とす方法はきっといくらでもあるし、その見返りだって大きい。 彼女は良家のお嬢様なのだ。 悪い虫を追っ払う為に、注意はいくら払っても、払いすぎることはない、というだけの話なのだけれど。 「だいたい、京都と東京って距離で、彼女が別嬪で、悪い虫が寄ってくる心配すんなって言う方が無理やろ」 「そんなのお互い様でしょうが、あんたもその歳でプロ入り噂されてれば、それなりに騒がれてるでしょうに」 「でも、お嬢に『浮気してないかしら?』なんて心配されてる気ぃなんて、さっぱりせんで」 今までの態度から察するに、浮気はしないと信頼されてるわけでもないだろうし。 ため息をついたシゲに、鬱陶しげにはいはい、と言って寄こし、 「ま、束縛すんのもいいけど、ほどほどにね。振られても知らないわよあたし」 と、小島有希はなんとも愛想なく話を切り上げたのだった。
彼女は優しく相談に乗ってくれるような性格では間違ってもないが、上條麻衣子の本音を知りたいとき、他に信頼できる相手がいないのだから仕方がない。 水野が不機嫌になって、しばらくパスも厳しくなるのは覚悟の上だ。 そんな事を考えつつ、シゲは目の前にある水野の肩を叩いた。
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「タツボン、調子はどうや? 俺はさっぱりや」 U‐18の合宿後、ロッカールームにて、水野の肩を叩きながらシゲが言った。 京都と東京、距離としては遠いし、移動時間としても遠い。遠いはずだ。なのに水野はしょっちゅう顔を合わせるはめに陥っている。 今では藤村姓になったシゲは、代表合宿やら全国大会やら、サッカー関連でどうしても会う機会が多いし、シゲのプライベートとして東京に来ることも多いから、自然とそうなってしまうようだ。 「調子って、何の調子だよ。サッカーか?」 なら万全だ。いつでもプレーできる。 シゲは軽く首を振っって言った。 「俺はもうあかん、駄目や」 「質問に答えろよ」 「お嬢は鋭すぎる」 「なんだよ、上條の事かよ……上條が鋭い?」 中学時代の彼女のテストの点数をなぜか連想し、どっちかというと鈍いタイプではないだろうかと思った水野は眉をひそめた。 「おお。ようやく分かったんや、なんでお嬢があんなにびくびくしとったんか」 「かわいーなーもぉ抱きしめたいなーとか、ちゅーしたいなーとか、ま、押し倒してまいそうやなーとか、お嬢と居ったら、しょっちゅう思うやんか。そーゆうタイミングで、びくついとった訳やわ、お嬢は」 「はあ、上條が……何だって?」 「要するに、俺の『手ぇ出したい』オーラを感じ取って、怯えとったってこと」 水野は反応に困って固まった。 手ぇ出したいオーラって。 言うか普通。 「そんなにわかりやすいか? 俺」 シゲが、いつになく真剣な顔で聞いてきて、水野は返答に困った。 今までの話だけで、こういった話題が苦手な水野が黙るには十分すぎるのに、そんなことまで聞かれても。 ……俺に聞くなよ、と水野が口にする前に、 「おーわっかりやすいなぁ。お前の彼女、意地っ張りみたいやから、更に難しいやろなぁ」 と、後ろからした声に水野は振り返った。 からっとした笑顔を浮かべ、ノリックが立っていた。なんで、と疑う表情をするとシゲが 「とぼけた顔して、コイツ結構遊んどるねん。しかも相手ぇ年上ばっかしやし」とノリックを指さした。 「ちゃうって、俺が遊ばれて捨てられてるだけやってー。もお、悲しいわぁ」 とノリックが返し、泣き真似をした。まるで漫才だ。 思わず肩を落とし首を掻いた水野に、ノリックはあっけらかんとした笑顔を向けてから、言った。 「まー、シゲほどわっかりやすいのもアレやけど、水野みたいに全然わからんのも、難しい思うで、相手の娘ぉにとったら」 「そうか?」と、シゲが聞く。 「やって、水野って、キスとかあんまりせんやろ? 目ェ合っても逸らすやろ? いちゃいちゃしたいーとか思っても、絶対態度に出さんやろ? 手ぇだって繋がなそうやし。ホンマにうちのこと好きなんやろかー思うで、それじゃ。彼女も絶対、物足りんて」 確かに水野は、愛情表現をおおっぴらに出したりする方ではないし、キスをしたこともない。けれどそれは、水野がしないのではなく、有希にさせないような雰囲気があるのだ。例えば、迫っても交わされそうな。下手をすると、軽蔑されそうな。 物足りないなんて、あの有希が? 「……そんな事はないと思う」 心持ち暗い声で、水野は答えた。 「あいつは俺がどういう態度を取ろうが全然関係ない。一ミリも気にしてない。自分の好きなようにやるんだ……キスしたけりゃあっちから無理矢理にでもしてくるよ……そういう女だよ」 最後の一言は自分に言い聞かせるような調子だった。前に手をつないだのはいつの事だったかわからないし、キスだってしたことがない。 半年前の、有希の部屋でのことだって、冗談と捉えられていたのだろう。あの日の夕方、有希は水野の家へあっけらかんと教科書類を届けにきて、水野を二重の意味で落ち込ませた。 「せやかてなぁ。水野も男なんやから、仮にも彼女を目の前にしとって、何も感じんわけやないんやろ?」 「そりゃ、まあ。……人並みには」 水野だって、色々したい気持ちはある。今のところ、気持ちだけだが。 「面倒くさいことしてないで、言っちゃえばいいじゃん」 興味なさそうに聞いていた藤代が、その時突然、口を挟んだ。 「……何て?」 不思議そうにシゲが問うと、あっけらかんとした答えが返ってきた。 「キスしたいんだけど、オッケー? 駄目? とか」 「キス以上でも?」「キス以上でも」 あっさり頷く藤代。 なるほど、天性のポイントゲッターは言うことが違う。 がっくり肩を落としたのは水野一人で、ノリックは腹を抱えて笑い、シゲはというと、腕を組んで思案顔になっていた。なるほど、とでも言うように。 ……全く、勝手にやってくれ。水野は内心呟いた。 だいたい、小島はあの性格なのだ。 「キスしてもいいか?」なんて聞いたら、大笑いされそうだ。 ……大笑い。 その反応は、仮にも『彼女』に対して抱くイメージではない。普通は。 自覚していることではあったが、改めて認識させられて、水野は今日何度目かになるため息をついた。
テンションの高い有希から電話が掛かってきたのは、偶然にもその日の夜だった。
『水野水野! 聞いて、あのね、今日ね』 「留学が決まった?」 『正解! よく判ったね』 「ああ。お前の声聞けば分かるよ。良かったな」 前々から有希が留学先を探していたのを知っていたので、それほど驚くことなく水野は言った。 『うん、ありがと!』 「いつ出発?」 『再来月。飛行機初めて乗るよ。怖いかな』 「お前ならすぐ慣れるって。窓際だと雲がきれいに見える」 『水野は飛行機慣れしてるもんね』 「慣れてるってほど乗ってないけどな。緊張するのは最初だけだって。皆に知らせたか?」 『まだ誰にも。水野が一番最初だよ、電話したの』 「一応彼氏だからな」 『違うよ。彼氏だからって訳じゃなく』 「じゃあ何で?」 『水野だったら、本当に喜んでくれると思ったんだもん、あたしがアメリカ留学するの』 「だって、お前の夢だったろ。聞いたら誰だって喜ぶんじゃないか?」 『まさか。お母さんだってお兄ちゃんだって、根っから喜んでくれるわけじゃないと思うわよ』 「……そうか?」 『そう。仕方がないところもあると思うけど』 水野は父がサッカー選手だったから、人生をスポーツに賭けることに周囲の抵抗は無かったが。 女の子一人、高校から海外留学となれば、親の心配は確かにあるだろう。 もしかしたら、クラスメイトやチームメイトの嫉妬やなんかも。 「アメリカだろ。治安とか、心配なんだろうさ。俺もちょっと心配だし」 『え』 意外そうな返事が返ってきたところで、 「小島の返り討ちに合うだろう、暴漢の身の安全がな。くれぐれも、反撃は正当防衛の範囲で済ませるように」 『……水野? あ・ん・た・ね・ぇ』 「冗談だよ。でも、気ぃつけろよな。向こうとこっちじゃ勝手が違うだろ。日本人は若く見られるし、甘く見られる」 『わかってるわよ。馬鹿な真似はしないって。それより水野、空港まで見送り来てくれるでしょ?』 「予定が入ってなければ行くよ。いつ出発だ?」 『まだわかんない。来月までには決まると思うんだけど』 「そうか。早めに教えてくれよな。できるだけ都合つけるから」 『ん、宜しく。じゃね』 はじけるような声で小島は話を切り上げ、受話器を置く。 ……水野だったら、本当に喜んでくれる、か。 正直、複雑な心境だった。 水野はしばらく通話終了の音を聞きながら、天井を見上げ、軽くため息をついた。
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