「よくもまあ、言えたものね、手作りのチョコが欲しいだなんて」 上条麻衣子は、腕組みしながらそう言った。
「私から、本当に欲しいの? 既製品ならともかく、手作りでなんて」
「欲しいからくれー言うとるんやろ。それとも何、手作りできへんの?」
「できるわよ。いくらでも。私は、あなたが解らないって言ってるのよ。好きな相手にならともかく、私に言う佐藤の気が知れない。あなた、実は頭おかしいんじゃなくて?」
「きっつぅ、お嬢」笑いながら、シゲは傷つき胸を手で押さえる仕草をした。 彼女が眉を顰めるのが見えて、うれしかった。
自分がおかしいとしたら、頭ではなく心だろう。
Bitter Most
「バレンタインデーは今日ですが、どおしてチョコがないのん、お嬢」
当日の放課後、上条麻衣子のクラスへわざわざ足を運んだシゲは、無駄足を知らされた。
「好きであげるわけじゃないんだから、一日や二日ずれたって構わないでしょう」
「焼きもちやなくて?」シゲは手に持った袋いっぱいのチョコレートを示して見せた。
「そんなに貰って、まだ欲しがるつもり? あなた、どこまで節操なしなの」
「お嬢冷たいー。俺ら両思いやん」
上条麻衣子は、シゲを睨んだまま動かなくなった。シゲは笑いを引っ込め、その視線を受け止める。
「……ただし、嫌い同士の、やな」シゲがそう言って初めて彼女は視線を動かし、息を吐いた。
「明日持ってくるわよ」「期待しとるで」 ほな、と言い残し、シゲは彼女のクラスを後にした。
「おい、待てよシゲ」「おおタツボンもぎょーさん貰たな」シゲが振り返れば、紙袋を手にした水野がシゲを追って来る途中だった
。 「数なんかどうでもいいだろ」「小島ちゃんから貰えてないんか」水野の不機嫌さにそう問えば、
「それよりお前、上条にチョコねだってるのかよ」と無視された。
「嫌やなタツボン、盗み聞きしとったんかい」「聞こえてきたんだ、上条と同じクラスだから。妙な言い方するなよ」並んで歩き出す。二人ともチョコでいっぱいの袋を抱えているのだから、すれ違う男子生徒の視線がちくちく刺さる。
「確かにねだっとるけど、貰えるかはわからんで」「お前なあ……」 水野は呆れたような表情でシゲを見た。そんなに貰っておいて、という意味の呆れではないだろう。 シゲは無言で笑みを返した。
冬の放課後の教室は、すぐに空になる。授業時間がすむと暖房を止めてしまうからだ。推薦が決まっていて、受験勉強はしなくてすむシゲも、たいていはすぐ教室から居なくなる。
けれど今日は教室に居残っていた。目ざとく話しかけてくる奴らを言葉巧みに追い払うことまでして、ひとりで待っていた。 明日持ってくると言ったからには、持ってくるのだろう。上条麻衣子は。
「あら、まだ残ってたんですの?」自分の机に腰掛けたシゲが声のする方を見れば、教室の戸口にたたずむ彼女が見えた。 「残っとるでーもちろん。作ってきてくれたん?」「ええ、嫌々ね」彼女は迷いのない足取りでシゲに歩きより、手のひら程の大きさの箱を差し出した。シゲは座ったまま受け取る。
「それじゃあね」もう用は済んだとばかりにきびすを返した彼女を、戸口手前で呼び止めた。 「お嬢」 上条麻衣子が振り返る。 シゲは手の中のそれを放り投げる。 茶色の包みに緑のリボンのかかった、きれいにラッピングされた小さな箱。 緩く弧を描き、彼女のすぐ傍にある、ゴミ箱へと吸い込まれる。
金属製のゴミ箱は、衝撃で耳障りな音をたてる。 教室全体に反響して、消える。 痛いぐらいの静寂が残る。 彼女の視線が、ゴミ箱からゆっくりと帰ってくる。 その黒い瞳が、シゲの目を射る。 「ナイスシュート」言って、シゲは笑ってみせる。 睨みながら、笑ってみせる。 彼女は表情を変えない。変えないまま、唇が動く。
「……ハンド」 色味のない声が、教室に響く。彼女は腕組みをした。 「サッカー部でしょう。手じゃなく足を使ったら? ナイスシュートって、自分で言うぐらいなら」 「へえ……お嬢はできるん?」 「私はやりませんわ。食べ物を粗末にするなと、育てられているものですから」 「そいつは感心やな」 彼女は腕を解き、戸に手をかけて半身になる。「ホワイトデー、期待してますわ」
冷たく言い残し、黒髪をなびかせて教室を出て行った。
シゲは天井を見上げて軽く息を吐いた。
―――やっぱ、これぐらいで泣いちゃくれへんか。 「シゲ、お前まだ居たのか」 浸る間もなく名前を呼ばれた。さっきまで彼女がいた場所に、肩にリュックを背負った水野が立っている。 「珍しいな、こんな時間まで。さっき上条とすれ違ったけど、貰えたのか」「貰えたでー」「……の割に、手ぶらだな」 どんな勘が働いたものか、水野は傍にあったゴミ箱を見下ろした。中にはラッピングされたままの箱が入っているはずで。
「おい。まさかこれだとか言わないよな」 シゲは、正直に答えるべきかと頬を掻いた。まあ、水野が彼女に聞けばすぐにばれることだ。 「ソレやで」 頷く。 「……上条が捨てたのか?」「いいや。俺や」水野の顔色が変わった。「上条の目の前で捨てたのか」 ゴミ箱の中に手を突っ込み、小さな箱を取り出して水野はシゲに詰め寄る。 「喰え」「はあ?」「俺の目の前でちゃんと喰って帰れって言ってるんだよ」 かなり頭にきているらしい。目が据わっている。
「そないに怒らんでも。すれ違ったお嬢、普通やったろ」「ねだっておいて捨てるなんて馬鹿な真似するからだ」水野は乱暴に包装を解き、箱の蓋を開けてシゲに突きつけた。 「お前、上条にだけおかしいだろ」「そやな。おかしいな」 あっさり認めると、水野は複雑な顔になった。 小さな箱の中身は、丸い六粒のトリュフだった。シゲはおとなしくつまみあげ、口に含む。 「おお」シゲは思わず声をあげた。「どうしたんだよ」「タツボンもひとつ食うてみい」シゲが笑いを噛み殺しながら言うと、水野は恐る恐るといった風にひとつをつまみ、口に入れる。シゲは水野の表情の変化をじいっと観察しつつ、次々に残りのトリュフを口に放り込んでかみ砕いた。 慎重に味わったのだろう水野は、食べ終わってから真面目な顔でぽつりと呟いた。 「……甘くないな」「せやろ」不味くはない。長時間舌で転がせるぐらい、きちんとバランスが取れている。 ただし、極端に甘みを抑えられた形で。 くつくつと笑い、シゲは独りごちた。「ホンマ、やりよるわお嬢」 包装紙と箱を一つに丸め、シュート、と放った。放物線を描き、あっさりゴミ箱に収まる。観客が水野では、こんな行動には何の意味もない。 傷つけたいのは彼女ひとりだ。 上条に絡むのも大概にしろよと言い残し、水野は教室を出て行った。全く心配性な奴だと呆れたが、自分の態度も態度だからなと思い直す。
シゲは、上条麻衣子にだけ、態度が違う。そしてそれを周りに隠していない。隠す必要を感じていない。 水野でなくとも、気になるだろう。普通の感情ではない。端から見て、わかりやすい感情ではない。 一人残されて、ふと指先が茶色くなっているのに気づく。トリュフにまぶされていた粉だ。 シゲは、その茶色い粉を舌先で丁寧に舐めとる。 「苦い……」 だれに聞かせるでもない掠れた響きが、冷え始めた教室に染みいった。
end
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