ホワイトアウト3
彼に促されるまま、麻衣子はドアの中へと歩みを進めた。 部屋の中、真っ白なカーテンが目に飛び込んできた。この海沿いのホテルの内装は、真夏の太陽によく映えるように作られているらしい。カーテン地は光を通す厚さで、室内は自然光で照らし出され、シーツもベッドカバーも真っ白に輝いている。クーラーがよく効いていて、部屋の端では、レースのカーテンが涼風に揺れている。 きれいな部屋だ。でも、カーテンを閉め電気を消しても、暗くなる部屋ではなさそうだ。麻衣子は早くも怖じ気づきそうだった。 ぎし、とベッドのスプリングが鳴る音に、麻衣子は身を縮ませた。 振り返ると、シゲがベッドに腰掛けている。 「シゲ、その……嫌じゃない?」 「まさか。好きな女抱くん、嫌がる男はおらん」 「でも、そんな雰囲気になったこと、無かったじゃない。ホントは、興味無いんじゃないの?」 彼が静かに手招きをした。麻衣子はおそるおそる近付く。 麻衣子の手を取って隣に座らせると、シゲはおもむろに切り出した。 「正直言うとな。手ぇ出すの、ずっと我慢してたんや。何かあってもちゃんと責任取れるようになるまで、お嬢が二十歳になるまで…って思っとったんやけど、ホンマはただ、お嬢を押し倒して、嫌われるんが怖かったんかもしれん」 シゲの手が麻衣子に伸びてきて、羽織っているシャツの襟元に触れた。 「……シャワーは、さっき海で浴びたから要らんよな」 麻衣子の体に触れることなく、シゲはシャツを脱がせて無造作に床に落とした。もう用はないと言わんばかりに。 借りていたシャツを脱がされてしまうと、今更ながらに、自分はなんて薄着だったんだろうと思った。 今日はずっと、ノースリーブと薄地のスカートと、下着しか身につけていなかったのだ。 麻衣子はノースリーブの裾をたくし上げようとする彼の手から身をよじって逃げた。 「恥ずかしいのはわかるけど、ちゃんと脱がんと。……汚れたら、困るやろ。着替え無いねんから」 彼の声が、いやに冷静に聞こえて、目が合わせられない。 抵抗する気を削がれて、麻衣子は彼の導くまま、脱がしやすいように四肢を動かした。 ノースリーブを脱がされてすぐ麻衣子は両腕で胸元をかばい、できるだけ体を縮こませる。シゲは腰に回した腕で麻衣子の体を持ち上げ、水玉のスカートを脱がすと、ベッドの下に落とした。 華奢なショーツ一枚の姿になった麻衣子がシゲの視線から逃れようと顔を背けている間に、彼はTシャツを勢いよく脱いで、上半身裸になると、麻衣子を挟み込むようにベッドに手をつく。また、ぎしっとスプリングが鳴った。 麻衣子の肩口にシゲの唇が触れると同時、反射的にびくりと肩が跳ねた。シゲの手が腰に回されたのを感じて、また跳ねた。 身を固くした麻衣子を見かねたのか、 「お嬢、ダメなんやったら、早目に言うて。こっから先は俺、嫌って言われても止まれへんで」 そう言ってシゲは唇を滑らせるようにキスをしながら、首筋を辿ってくる。 ぞくぞくとした感覚が体の中心から生まれてきて、麻衣子はなぜか泣きたくなった。 胸を隠すように組んでいる麻衣子の腕の先、手の甲にシゲはキスをし、そのまま視線を上げ、答えを待つかのように麻衣子の顔を見つめた。でも、そのシゲの目には、麻衣子が見たことのない奇妙な熱がこもっていて、どう考えても、何を言っても、ここで止まってもらえるとは思えないのだった。
車の中でされたように、キスをしながら胸を触られた。 見ないで、と言ったら、嫌や、見たい、と駄々をこねるような口調で言われた。 せめてこんなに明るくなければよかったのに。 今が夜なら。彼の顔も表情も、彼に触れられている自分の体も、見えなければこんなに恥ずかしくはなかっただろうと思うのに。 キスの合間に視線を落とせば、直に麻衣子の胸に触れている、日焼けした大きな手が見えるのだ。 元々、麻衣子の胸は大きくない。彼の手に包まれると、貧相さが際だつような気がして、麻衣子はその手から逃れるように体を引いた。 「お嬢?」 「あんまり、触らないで」 恥ずかしさから、麻衣子がシゲの顔から目を逸らして言うと、すこし間が空いてから「わかった」と声が返った。 胸元を隠すように庇っている麻衣子の両肩に彼の手が伸びてきて、麻衣子をベッドの上にころんと転がすと、全身で覆いかぶさってきた。 にやにやと笑うような表情が、仰向けになった麻衣子から見える。 「触んなきゃええねんな」 鎖骨あたりにキスをしてから、彼は胸元へと唇を運んだ。 「えっ、待って」 「嫌や、待たれん」 胸を隠している麻衣子の腕を丁寧にどかせると、なだらかな丘陵を登るように舌を這わせる。 「待って、やだ、シゲ」 胸の先の蕾に彼の舌が近付いてきた。麻衣子は彼の頭を両手で包んで、そこから遠ざけるように力を込めた。 「往生際が悪いなぁ」 しぶしぶ顔を離し、麻衣子の唇を求めて来たシゲを見て、 あれだ、獲物に食らいつく肉食獣に似ている、と思った。
こんなに苦しいキスははじめてだった。唇の感触を楽しむのではなく、麻衣子の全部を飲み込もうとするようなキスだ。応じ方がわからない。息が苦しい。 「シゲ、待って」 「ごめん、もうちょい……」 再び重なる唇。ふわりと下唇を噛まれたかと思うと、半開きになった麻衣子の口内を押し開くように舌が入ってきた。 「っん……ぁ」 どうすればいいか分からない。麻衣子は身を固くし、シゲの肩口をつかんで息のできない苦しさに耐えた。彼のそれは、ざらざらとして生暖かく、別の生き物みたいだった。体熱が上がるような、判断力が鈍るような、とても、奇妙な感覚に襲われる。寒気のように、躰の表面がぴりぴりする。 「はぁ、……は」 何度か、息を継ぐ間をはさんで深いキスが繰り返される。
息を乱すことなく彼は顔を上げた。 肩で息をする麻衣子の心臓の上に唇をあて、跡が残らない程度に吸い付いてから、彼は上体を起こすと麻衣子の躰に残されていたショーツに手を掛け、膝を抱え上げるようにして脱がせた。抵抗する気は削がれていた。腰が抜けていたかも知れない。 室内は、暗くはなかった。お互いの姿が露わだった。 麻衣子は彼の裸の上半身と表情を見てから白い壁へと目を逸らし、少し迷って胸元を両腕で隠した。 「……見ないで」 「きれいや。見とれる位」 「嘘よ、絶対うそ」 「お嬢が欲しいんや。堪忍してや」 言いながら彼がふたたび覆い被さってきた。 麻衣子を組み敷いている彼の肩幅の大きさに、本格的にもう逃げられないと悟った。
彼のその様子を何と言ったらいいのだろう。いつも軽口を言いながら飄々としていた人とは思えない程、真剣な表情で、何かに取り憑かれたように一心に彼は麻衣子の躰をなぞっていく。 彼の唇や手で、素肌を愛撫される。麻衣子は、大きく息をしないではいられなかった。 触れられているだけなのに、そこからぞくぞくと不思議な感覚が伝わってくるのだ。 どれだけそうされていたのだろう。 肩や腕を彷徨っていたシゲの唇が、胸に落ちて来たときには、さっき彼を引き留めた時のような恥ずかしさは沸き起こることがなかった。胸の頂きに彼の舌が絡んだ。瞬間、体中が粟立つ感覚に襲われ、麻衣子は背を反らして呻いた。固くなった淡紅色の蕾を、彼のあかい、いきもののような舌がからめて、弾く。舌先で押しつぶされたかと思うと、舌全体でゆっくりと舐め上げられた。 「あっ、やぁ!」 びりびりと奔る感覚に、麻衣子は反射的に背を反らし、足を踏ん張って逃げようとした。 でも、麻衣子の腰にしっかりと回っている腕のせいで逃げられない。 「ぁやっ、やぁ、っ、ん――」 麻衣子は彼の肩に手をかけ、未知の感覚に怯える本能のままに力一杯押したが逃げられない。肩から腕にかけての筋肉の固い感触。触った感じが、女性のそれとはもう全く違う。びくともしなかった。 繰り返される刺激に喘ぎながら、逃げられなくとも本能の命じるまま麻衣子が暴れているうちに、麻衣子の足の間にはシゲの両膝が挟まれて、閉じることができないようになっていた。 胸や躰への愛撫を繰り返し、麻衣子の腰回りを彷徨っていた彼の手が麻衣子の秘所へ触れたときにはもう、そのことに怯えられるほどの冷静さは残っていなかった。 「あ、シゲ……、んぅ」 彼の口元は麻衣子の唇と胸先を行ったり来たりし、麻衣子がそちらに意識を向けている間に、彼の指先が躰を探っていく。
甘いような、苦いような。もっと、とせがみたくなるような、逃げ出したいような。 よくわからない感覚。 初めて他人に触れられる場所から伝わってくる、経験のない刺激に波のように次から次へと襲われて、とにかく、苦しい。 「シゲっ、シゲっ、待っ、ぁあ、あっ、え? ぁ、うぁ、あ、ん……ん、、、んッ、ん……、ぁ」 「お嬢、喘ぎ過ぎやで…」 「ん、だって、くるしぃっ……、ん、やぁっ」 「だってやない。そないな声出されたら、俺かて我慢がきかん」 何か、自分ではないものが入り込んでくる奇妙な感覚があった。 「何、シゲ、なぁに? あ、んっ」 「まだ指だけや、痛い?」 「そんなこと、ない、ぁ、でも、ヘン、ん、ん!」 拡げるように動かされて、思わず麻衣子はシゲから逃げるように体を引いた。 「……まだちょときついか……」 麻衣子の中の指はそのままで、シゲはさっきまで触れて麻衣子を喘がせていた場所を弄りだした。 ふたたび、あの感覚に麻衣子は襲われる。 たまらずに声を上げてその感覚に耐えていると、不意に、麻衣子を押し拡げている圧力が増した。痛みは感じなかったが、麻衣子は反射的に背中を反らせた。 「お嬢、平気? 痛い?」 「は、ん、わかんない、だいじょ、ぶ、あっ、シゲ? も」 「まだ。指増やしただけや。痛くないんなら……そろそろ大丈夫そう?」 シゲの指先の動きが、今までよりも大胆になった。 「ん、やぁ、わかんなっ、あぁ、あっ、やっ、あッ!」 ぞくり、ぞくり、と。 彼に弄られている所から、下肢に電流が流れた。 「ん、あ、やっ、 、んっ!」びくびくと体が反応しているのが分かる。痺れが体の芯から足先に伝わって、膝が引きつるように曲がっていく。 「嫌、シゲ、いや、いやぁ、くるしい!」 「お嬢、しんどい?」 必死に頷きながらシゲの体にしがみついた。 「やぁ、だめっ、も、やぁ」 「もうちょいやから、我慢して」 「嫌ぁ、怖い、もぅ、も、やぁ、何? なに、これっ、 ん、――嫌ぁ」 「お嬢、それ多分、快感やと思うんやけど。そんなにしんどい? 我慢できへん位?」 この感覚、を、快感というの? そう教えられた途端、"苦しみ"だった麻衣子を襲う感覚が、"快感"にすりかわって、ますます耐えられなくなった。 でも、気持ちがいいなんて死んでも口にできない。 麻衣子は声を必死で堪え、時折、我慢できずにシゲの名を呼んだ。 「先、イっとき。最初やから……きもちええ方がええやろ……なぁ」そんな言葉と、麻衣子の名をくり返し呼ぶシゲの声を聞いたような気がした。
「……落ち着いた?」 降ってきた声に、麻衣子は瞼を上げた。 頭も躰もぼんやりしていた。逆光で暗くなっているせいもあって、彼の表情がよくわからない。 ごく近い位置にあった彼の顔が、更に近付いてきた。細く呼吸をしていた唇にもたらされた深いキスを、今度はためらうことなく受け入れた。合間の息継ぎに自然と声が漏れる。麻衣子はシゲの首に腕を回し、絡めた。 ようやく彼の、情熱的なキスに応える方法が分かってきたように思った。恥ずかしさを忘れて、好きな人を望んでいるという気持ちを素直に表せば、自然とできるようになるものなのだろう。 彼の手が麻衣子の胸に触れる。はじめのころあった、反射的な怯えはもう感じない。けして大きいとは言えない麻衣子の胸を包んでいる彼の右手に自分の手を重ね、キスの合間、息を継いでいる隙に、唇を離して言った。 「……がっかりしたでしょう?」 「何が?」 「ぜんぜん、小さくて」 「そないな事あらへん」 彼はすくい上げるように麻衣子の胸をとらえ、やさしく握った。 はあ、と息を漏らした麻衣子の耳元に、彼が唇をよせた。 「俺そろそろ限界なんやけど」 「……ええ」 「再開してもええ?」 「……ええ」 「ちょっと……痛くするかもしれんで」 「……ええ」 「お嬢、そればっかりやんか」 笑い混じりに言って、重なっていた躰を離して麻衣子の顔を見下ろす。 「ホンマに大丈夫?」 「……大丈夫よ……夢でも見てるみたい、ふわふわして――よくわからない」 麻衣子の定まらない視線を見て取ったのか、シゲは軽く目を細めた。 「まあ、その方がええんと違う?」 「……そう?」 「緊張しとるより、ぼぉっとしとった方が、傷付けんでも済みそうや」 躰なんか打ち上げられたクラゲみたいにぐったりしているのだから、どうやったって傷なんかつかないんじゃ? そう思ったが、言葉にする前に、ゆるく握られていた麻衣子の胸に彼の唇が落ちてきた。舌で頂きを絡め取られ、吸われて、ぴりぴりと甘い痺れが拡がってゆく。 彼が胸の頂きを指先で摘んだ時には、熱いものが躰の芯から湧き上がってくるのがわかって、麻衣子は呻いた。 「やっぱ、敏感なもんやな」 そう言った唇がまた麻衣子の顔に近づいた。どこまでも深く熱心なキスに麻衣子が応えている間に、彼の手は両膝に触れ、押し開くように力を込めていた。どうにかしてキスの合間に息をすることしか頭になかった麻衣子は、足が大きく割られていることに、キスが止んで初めて気付いた。 ――とてつもなく、あられもない格好をしている。 「コラ、緊張したらあかんのやって」 そんなこと言われても、湧きあがる羞恥心をどうして止められよう。 シゲの肩を押し返すように力を込めた麻衣子の手は無視して、状態を確かめるかのように、彼の指先が麻衣子の花器を探る。潤んだ水音が聞こえて、恥ずかしさに悲鳴を上げたくなった。こんなに明るい部屋の中では、何もかも見られてしまう。こんな風になってしまっている、麻衣子の一番恥ずかしい秘部も。 「シゲ、待ってっ」 「……このへんやったな」 彼の指が探り当てたのは、さっきまで弄られていたところで、彼は軽く触れて麻衣子の躰がびくりと反応するのを見ると、さっきのように動かしはじめた。 じんじん躰に染みてくる身に覚えのある感覚。 たまらず弓なりに反って、シーツを握りしめた。声を上げるのは唇を噛んで我慢したが、殺しきれなかったものが時折、唇から零れていった。そんなとき耳に届く自分の声色は、泣き叫びたくなる程に恥ずかしいものだった。 麻衣子の意志と関係なく躰が跳ねはじめたころ、彼の愛撫はようやく去って、麻衣子は全身の力を抜き、シーツを握りしめていた手を緩めた。躰の昂ぶりと、ずっと声をこらえていたせいで上がった息を整えるように大きく呼吸をしていると、熱く、たぎった塊が、押し当てられたのがわかった。 ああ、と思ったが、一度脱力した躰にはまだ力が戻らない。 麻衣子はそのまま彼を受け入れた。
「――――っ!」
声にならない悲鳴。麻衣子はまたシーツを握りしめ、目茶苦茶に引っ張った。 躰がいびつに強ばるのを感じる。強烈な圧迫感が徐々に意識を灼いてゆく。 「お嬢、ちから、抜けん?」 どこか舌っ足らずに彼が言った。麻衣子はようやくの思いで首を横に振った。 「やっぱり泣かせてもうたな」 彼の手が頬に触れた。頬を拭うような仕草に、麻衣子は自分が泣いていることに気付く。 「できるだけ早ぅ、済ませるさかい。堪忍な」 そう言った彼は、上体を起こしたままさらに奥深くに進み入ってきて、吐息を漏らすように麻衣子の名を呼んだ。
耐えているうちに痛みは徐々に痺れに変わっていき、そのあと麻痺して、彼の動きだけ感じるようになった。 強ばっていた躰は、シーツを握りしめている手を残して虚脱していた。 痛みから解放されて、ようやく周りを気にする余裕ができた麻衣子の耳に、荒くなった彼の呼吸が聞こえた。彼がどう感じているか知りたくなった。麻衣子はシーツを握りしめていた右手を彼の頬へと伸ばしたが、もう少しというところで届かなかった。 横になったままでは、上体を起こしている彼までは距離が遠いのだ。 だからといって体を起こす力も湧かない。 腕の力を抜くと、麻衣子の指先は彼の汗ばんだ胸元を掠めて、繋がり合っている腰元へ落ちた。 「お嬢、大丈夫?」 動きを止め、落ちた麻衣子の手を取って彼が言った。 「……あなたは?」 「……俺? 俺は…上手く言えんわ」 苦笑いのような表情を浮かべ、麻衣子の手に指を絡めた。 「今死んでも文句は言われん」 「なぁに、それ」 「麻衣子は俺のもんやってこと」 それって、嬉しがってるんだろうか? 彼の表情は苦しげに見えた。 「シゲ、苦しい?」 「あー、苦しいっちゃあ、苦しい状況やな」 「ごめんなさい」 「そうやなくて」 彼は一瞬目を閉じて息を吐いた。 「……体も気分も、状況も、エライ良すぎてな。加減するのに難儀や」 「? 痛いんじゃ、ないのね?」 「まさか、逆やって。ごめんなお嬢、痛いやろ」 「大丈夫……多分。最初は痛かったけど、もうよくわからない」 「わからんくなった?」 麻衣子が半眼で頷くと、 「俺、焦らされとってしんどいんやけど、お嬢、わざとやっとる?」 「えぇ?」 「欲求不満」 「……ご、ごめんなさい。もう話しかけない」 「いや、痛くないんならそれでええねん」 彼はどこか苦しげな顔をしたまま、優しく麻衣子の頬を撫でた。 愛おしくて、彼に触れたい気持ちが膨らんで、思わず麻衣子は言った。 「もっと、近くにきて」 「ええの? ……体、しんどくない?」 「だって……遠い」 指を絡めている手を引く。 「わかった。痛かったら言いや」 上体を倒して麻衣子に覆い被さってきた彼と、体表が触れて、熱い、と思った。汗ばんだ彼の躰と重なった。重くないかと聞かれて、首を振った。彼の重みが心地よかった。背中に手を回すと、彼の手は麻衣子の細い腰を持ち上げて、腕をベッドと躰の間に差し入れると、深く引き寄せるように、抱き締めるように、力を込めた。 「……平気か?」 「へい、き」 答えて、息をひそめた。痺れが戻ってきていた。ひどく耐え難い、甘い甘い痺れだ。それと一緒に、逃げ出したくなるような、何かがこみ上げてくる。 「お嬢……」 呟いた後、彼は、スイッチが入ったかのように、ゆっくりと麻衣子を貪りはじめた。 首筋から鎖骨、肩口に落とされてゆく口づけ。体心部に息づき、じわじわと拡がる、確かな灼熱感。 はあ、と麻衣子は上擦った息を漏らし、彼の背中に回した手を少し爪立てた。 麻衣子、と耳元に囁きかける、彼の声の響き。 それに喚起される、粟立つような、甘い痺れの感覚。快感と背中合わせになって身を焦がす背徳感。 こんな彼の声も、熱く汗ばんだ肌も、嫌じゃない。麻衣子の柔らかさを手繰って巡る手、息の根を止めるかのように、首根を噛む口も。嫌いじゃない。愛おしい。 ――でも、こんな。 こんないやらしい、いけないことを。 彼が躰を揺らすたびに、スプリングの軋みが耳に届く。 背徳感――こんなことをして、と追い立てる罪悪感が、逆に、麻衣子の理性を侵してゆくようだ。 弾んだ息を押し隠すせいで、喉の奥に籠もった自分の声。躰にかかる、彼の熱い吐息。 彼に繋がれ、どくどくと脈打つように生まれてくる、麻衣子をくらくらさせる未知の感覚。 「――はぁっ」 ざぁ、と躰の内側から拡がり、指先まで浸透する。それは、波のように何度も。 「あっ、あぁっ、や」 じりじりと、焦げ付くように熱が高まってくる。 初めて焦点を合わせて天井を見ると、真っ白だった。しみ一つなかった。 きれいな天井。白は――清潔さと、清浄さと、清純さを表す色。 「シゲ、っ、待って」 「――辛い?」 「違う、そうじゃなくって」 動きを止め、酔ったような瞳をしている彼と、見つめ合った。 「お嬢……熱っつい目ぇしてる」 「…え?」 「潤んでて……溶けそうや」 「……うそよ」 答えはしたが、嘘ではないことは、多分自分が一番知っている。 彼が唇を求めてきたので、麻衣子も唇を開いて応じた。触れるだけのキスでは、もうまったく物足りなかった。
見知らぬ道を、目隠しのまま、全力疾走させられている気分だ。先になにがあるのか全然分からない。 途中で怖くなって、引き返したくなったけれど、彼が麻衣子を離さなかった。 下肢から伝わり、全身に染み渡るように苛んでくる快感から逃れたくて、麻衣子が首を振っても、待って、と言っても、もう止まってくれる気配はなかった。 「シゲ、もっ、ダメ――」 「あと……ちょっとやから」 彼の、喘ぐような吐息が首に掛かる。 麻衣子は受け身とはいえ、彼に快楽を与えていると分かってうれしかった。 うれしかったけれど、これ以上先に進むのは怖くて仕方がなかった。 出来るかぎり堪えた声で、必死に言葉を形作った。 「やぁ、シゲ、もぅ……っ、ぁ」 「お嬢、色っぽい――」 「、ちがうっ、ん…ぁ、……や、嫌ぁ」 「――そういう声、我慢せんと、聞かして」 「嫌、……っ、や、や、やぁ――」 「そうや、もっと――」 ひとつになって弾む躰は、とめどなく快感を伝えてくる。 その快楽を拒んで首を振り続ける麻衣子に、抗うより、身を任せてしまった方が楽だと彼が囁いた。 もうダメだ、呑まれる―― 麻衣子は何もかも投げ出して、彼にしがみついた。 その後の事は、よく覚えていない。 ただ、どこかに魂だけ放り出されたような、全部が終わった後の余韻の中で、汗まみれになった自分を恥ずかしく思った事と、同じく汗だくになった彼を、愛しく感じた記憶があった。
彼女のひときわ高い声が、張り詰めていたシゲの糸を切った。一瞬で走り抜ける電流のような寒気のような感覚が、躰を震わせた。その後、じわじわと染み込んでくる切ない怠さにしばし酔いしれ、シゲは息を整えながら躰を離して、彼女の目尻をぬぐった。 いつからかは分からないが、彼女は泣いていた。まだ躰がすこし震えている。先ほどまでのように、シゲの動きに反応して痙攣しているだけかもしれないが、シゲの目には恐れや怯えで震えているように映った。 そっと彼女を抱き締めると、彼女がふっと力を抜いたのがわかった。安心させるように、何度か背を撫でる。あたたかで、柔らかな躰だった。さっきまで快感に支配されていたとは思えない、弱くて儚い印象だった。気がつくと彼女は何かから庇うかのように体を丸めていて、シゲは少し傷ついた。 とりあえず自身の後始末をして、上掛けをとって自分と彼女の体に掛ける。 気が抜けたようにぐったりしていた彼女は、目を閉じたかと思うと、静かに寝息を立て始めた。 どこか神経が張り詰めているように、シゲは思った。性欲が膨らむ感覚に似ている。いとおしさで全身が満たされるような感覚にも似ている。達する寸前の高揚感が、シゲ自身が彼女に包み込まれた直後から、彼女を支配し終えた今もなお続いているような気もした。 彼女の髪を整えながら、その寝顔を眺めた。やすらか、というより、疲れ切った後の眠りの表情だ。今、涙を流されても不思議じゃない。 さっきまで彼女が見せていた艶態が次々と脳裡を走り、凶暴な雄性が喉を鳴らすのと同時に、今の彼女の寄る辺なさに、良心がうずいた。満足感と同時に、悔やむ気持ちがあった。 彼女はまだ、こういった行為を自分から求めるほど熟れていない。いやいや受け入れることはあっても、望んで自分からそうすることはまだない。ずっと前から分かっていたことだ。デートの度にどうなってもいいよう準備をしておきながら、結局手を出さなかった理由でもある。 それを彼女の好意に甘えて押し通すのは、彼女に無理をさせる事だとは覚悟の上だった。もう、それなりの経験をしてもいい歳だと思ったし、最初だから少しくらい大変でも、泣かせるのも、仕方がないと思っていた。 それなのに、この罪悪感はどうだろう。 白い頬をそっと撫でた。心なしか、血の気が引いているような気がする。心配だった。 男としての躰の欲求は普段から我慢できない位に膨らんでいたが、どうしても、傷付けたくなかったのだ。
自分は、自分で思っている以上に、彼女のことが大事らしい。 「……まいったで、ホンマに」 こんな状況で自覚させられるなんて、まったく笑えない話だった。 ――目覚めた時の彼女が、シゲを嫌わないで居てくれればいいのだが。
隣で何か動く気配があって、シゲは目覚めた。寝ぼけ眼に、黒い長い髪が映った。また彼女の夢を見ていたのだろうか? 彼女を抱く夢。彼女が隣で眠る夢。 「起きた? シゲ」 小さな唇が動いた。シゲは急激に目覚めた。さっき、あった出来事を思い出した。 「今何時」 「夕方6時。よく寝てたわよ」 「ホンマや。お嬢、悪い、急いで出んと、お嬢ん家の門限に間に合わん」 「いいわよ、今日くらい」 「そういう訳にもいかんやろ。……あぁ、ひょっとして、躰つらいん? なんとかして泊まっていこか」 彼女は首を振った。 「泊まる言い訳考えつかないわよ。あなたと会うからって言って来ちゃったもの」 「そうか?」 起き上がる素振りをした彼女に、シゲは手を差し出して支えようとした。 「大丈夫。動けるわ」 彼女はシゲの手を押しとどめるように握り、目を逸らして、少しあかくなった。 「その、思ってたほど痛くなかったもの。大丈夫」 彼女は胸上まで上掛けを引きあげたまま起きると、同じく起き上がったシゲをじっと見つめた。 「あの……服、とって貰えないかしら?」 「服?」 シゲは彼女の服を脱がせ、ベッドの下に落としたのを思い出した。方向的にシゲを乗り越えなくては彼女はベッド際に行けない。シゲを乗り越えてしまうと、シゲに裸体を見られてしまう。だからだ。 シゲはちょっと考えた。彼女の躰が見たい、でも、今それをやったら怒られそうだ。 「……シゲ?」 「服着る前に、したいことがあるんやけど」 彼女は目を瞬き、胸元の上掛けを押さえた手に力を込める。その顔に一瞬怯えたような色が走ったのをシゲは見逃さなかった。 ――大丈夫、もう怖がるようなことはせえへん。 シゲは静かに言った。 「キスしてもええ?」 「そんな事……今更聞かなくても」 「まぁ、一応な」 「もう」 彼女はシゲに近付くと、顔を上げてキスをしやすい体勢になった。近付くシゲの顔を包むように、頬に添えられた右手に、シゲは手のひらを重ねる。 「嫌われんで、良かった」 「ばかね。そんな心配してたの?」 「だって、泣かせてもうたから」 「……ばかね」 そっとキスをした。触れるだけのキスはいつものキスなのに、今までと違って、ずっと特別な感じがした。
車を運転しはじめて、しばらくしてから。 突然彼女がくすっと笑った。 「どしたん?」 「思い出し笑い。あなたの寝顔、子供みたいで、すっごく可愛かった」 「ああ?」 かくっと力が抜けて、シゲはハンドルに額を乗せた。 「俺、そんなに悠長に寝とったか?」 「あなたって、睫毛は黒くて長いのね」 「そらぁ、睫毛までは染められんし。あー、不覚や。寝る気ぃなんて無かったんに」 「見てて飽きなかったわよ」 「見せもんじゃありません」 「けち。いいじゃない、また見たいわ」 「今度は寝ぇへん。寝たとしても、お嬢より先に起きたる」 「え? 今度?」 問い返され、シゲは自分の発言の意味に気付き、しまったと思った。 彼女はしばし表情を硬くして、「そ、そうね」と慌てたように続け、うつむく。その耳は赤い。 「あー……あれや、お嬢は海に行くときは、忘れ物に気ぃつけんとあかんな。いっつも人の上着が借りられるわけとちゃうからな」 「わかってるわよ! もう絶対に忘れないから」 頬を赤くして彼女は勢いよく窓の外を見た。 「何処か寄って、買ぅていかんとな」 「そうね」 「ついでに何か食い物も買お。腹減った」 「私、おにぎりが食べたい」 「ええなぁ」 ちょうど帰りの途中にちょっとしたデパートがあったので、下着売場に寄った後、おにぎりと飲み物を買った。唐揚げと、たこ焼きと、ポテトと、玉子たっぷりのサンドイッチも買った。結構な量だったが、車で移動しながらキレイに平らげてしまった。 「出来合いのおにぎり、こんなに美味しいと思ったのって、初めて」 と彼女が言った。 「うん。美味かった。腹へっとったんやな」 「そうね」 「……ハードな一日やったしな」 「……、泳ぐのがね」 ぷっとシゲは吹き出した。なによ、と彼女は怒り出す。 「怒る元気があるならええわ」 ――ほんま、よかった。 シゲは内心呟いた。
彼女の家近くに着き、シゲは車を止めた。時間はギリギリ門限に間に合った。 車を降りようとする彼女をシゲは呼び止める。 「あ、お嬢」 「何?」 「……すまん、なんでもない」 「何、よ」 「……あー。日本人やからなぁ、なかなか言われへんわ」 彼女は黙ってシゲの言葉を待っている。 「お嬢が、……大事やって事や」 本当は、愛してる、と伝えたかったのだが、言えない。どうしても言えなかった。 彼女はひたとシゲを見つめた。「私も、その……」と、何度か口ごもる。 「ああ、上手く言えないわ。その、私も大事よ。すごく大事。今日はありがとう」 「それはこっちのセリフやな。……無理言ぅて、すまん。ありがとう」 それでもお互い足りなかった。 彼女の手を引き、車の中でキスをした。離れて、目があって、どちらからともなく笑った。
彼女が家に入ったのを見届けて、シゲはエンジンを掛けた。 レンタカーの受付に車を返しても、最終の新幹線にまだ間に合う時間だった。明日はクラブチームの練習がある。早めに京都に帰って、明日に備えんとな、とシゲは車を発進させた。 ふう、と息を吐いた。どうにも、明日の練習には身が入らない予感がした。 今夜、寝られるかどうかも怪しかった。
おかえりなさいと迎えてくれた母に、何でもない様子を装うのが、とても難しかった。 親と顔を合わせているのは、今日はなんとなく苦痛だ。 夕飯も車の中で済ませたことだし、早々にシャワーを浴びて、シーツにくるまって、麻衣子は自分のベッドに入った。
目を閉じる。でもどうしても、今日の出来事が浮かんできてしまう。昼間にシゲと一緒に遊んだ青い海での出来事が嘘みたいだ。その後にあった事が刺激的すぎる。 初めて知った彼の一面や、自分の見せてしまった醜態の数々を思いだし、ひとりで身もだえしてはベッドをばんばん叩き、しばらくじっとしては、ため息をつく。 それを何度も繰り返してから、ふと麻衣子は思い出した。
目覚めた時に見たシゲの寝顔。 本当に穏やかで、安心しきった赤ん坊のような無邪気な表情で……そんな彼を見たときの、胸がいっぱいになるような喜びを、今でもはっきり覚えている。 誰にも懐かず、本心を見せない野良猫の、腹を見せて寝ている様子を、間近に見られたような気持ち。自分が彼にとって、ひとりだけ、特別な存在になれた気がした。 どんなに恥ずかしい目に遭っても、目覚めて彼の穏やかな寝顔が見られるなら、それでいいんじゃないだろうか。 彼があんな風に隣で安らいでいてくれるなら、何と引き換えにしても惜しくない。 難しく考えることじゃない。きっと、それでいいのだ。 麻衣子はようやく落ち着いて、今度こそ眠るために目を閉じた。
真っ白な空間に包まれていた。 その白さが、夏の太陽でまばゆく光る砂浜が放つものなのか、あの部屋のカーテンやシーツの色なのかは、分からなかった。でも、どこからか、細波の音が聞こえる気がした。 ひなたぼっこしながら眠っている猫の白いお腹が、呼吸に合わせて穏やかに動いているのが見えた。 暖かい気分に頬を緩めながら、麻衣子は白い景色に溶け込むように、深い眠りに落ちていった。
end
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