ホワイトアウト2
本日のデートは、念願叶って、海に行くことになっていた。 露出が多く、肌と肌の密着度が高いという点で、視覚的にも感覚的にも堪能できる「海」。彼女のいる男にとっては最高の、夢にまで見るデートだろう。 心なしか機嫌の良い彼女とやってきた海水浴場は、最高に良い天気。 シゲが選んだ水着を身につけた彼女は、シゲの見立て通り、可愛くて色っぽくて、想像以上に刺激的で楽しい時間を過ごすことができた。
シゲには全く不満のない、完璧なデートだったのだ。 帰りしな、彼女があんな事を言い出すまでは。
「ねえ、シゲ、寒い?」 海で遊んだ後、シャワーを浴びて水着を脱ぎ、車に乗り込んで、さあこれから帰ろうという時。 傍らの彼女がそんなことを聞いてきた。 車のクーラーが効き過ぎて寒いんだろうか? でもまだエンジンを掛けたばかりだ。 「や、別に。まだ暑いけど、どしたん?」 「Tシャツに重ね着してるその半袖シャツ、貸してくれない?」 「ええけど。何、お嬢寒いん?」 「いいえ、私も暑いくらいですけど、ちょっと……」 彼女は、身につけている黄色いノースリーブの胸元のフリルに触れた。 「朝、家から水着付けてきたから……持ってくるの忘れちゃって」 ――忘れたって。そんな。もしかして。 「下着、今、つけとらんの?」 シゲが片手で顔を覆ってため息をつくと、彼女は顔を赤くしつつ、むっとした表情になって、 「言っておきますけど、上だけよ。下は忘れてませんわよ」と言った。 ……そういう問題じゃない。 シゲはシャツを脱いで彼女の肩に掛けながら、心の中で呟いた。 海で、思う様べたべたした挙げ句、そういう刺激的な事を言われると、男としては正直参ってしまう。 結い上げていたせいで緩くウェーブした濡れた黒髪だとか、真夏の太陽のせいでほのかに赤く上気した肌だとか、海の家でシャワーを浴びた時に使ったのだろう、懐かしい石鹸の香りだとか、もうそれだけでも限界に近いのに。 これからの帰り道、2時間も、車で二人っきりになるというのに。 心の中でため息。 シゲはアクセルを踏み込んで車を発進させた。
「……怒ってるの?」 走り出してしばらくしてから、彼女が呟くように言った。 「別に。なんで?」 「だって、静かなんですもの」 「……はしゃぎ疲れたんや。怒ってないで」 「嘘。ぜんぜん私の方見ないもの」 そのセリフに、ちらりと彼女を見ると、口をとがらせて睨んでいる。 ……その表情をかわいい、と思ってしまうのは惚れた弱みか。それとも下心ゆえか。 ちょっと休憩、と言って、シゲは道端にある自動販売機の前に車を止めて降り、コーラを買った。なんだか冷たい飲み物が欲しかった。 プルタブを起こして、独特の香りのする甘い液体を飲み込む。泡が弾ける感覚は、味に例えるなら“辛い”だろうか。舌が刺激でぴりぴりして、気分を変えるのにはちょうど良い。 ふう、と息をついて手の甲で口元を拭っていると、バン、と車のドアを閉める音がした。振り返ると、彼女がシゲに向かって歩いてきていた。 「何か飲む?」シゲはポケットから小銭入れを取り出しながら聞く。 「いえ、喉は渇いてませんから」 「なら乗っとってええのに」 「だって、ゆっくりデートするの、本当に久しぶりなのに、あなたの機嫌が悪いんですもの」 シゲのTシャツの裾をひっぱって、彼女が言った。 膝丈の、生地の薄い水玉模様のスカートに、襟ぐりの深い、フリルのついたノースリーブ。その上に、シゲのぶかぶかの半袖シャツを羽織っている。 ……まずい。 「別に機嫌なんて悪くないて」 「嘘よ。それくらい分かるわよ」 「嘘やない」 「もう、なら、何に怒ってるの?」 「怒ってるんちゃうって」 「じゃあ、どうしてよ?」 「…お嬢の気のせいや」 シゲは彼女に背を向けるように体を捻り、コーラの缶を一気に傾け、半分まで飲み込んだ。 口の中で、泡が弾けた。舌が痺れた。 困った事に、一旦生まれてしまった欲求は、なかなか消えてくれない。簡単に、スイッチのように、ON・OFFができるわけもない。 彼女がシゲのTシャツの裾を握る手を離したのがわかった。 ほっとするのと同時に、残念がる気持ちがまだ。 シゲはさらにコーラを飲もうと胸半ばまで持ち上げた。 「シゲ」 彼女に名前を呼ばれた。 振り返る暇も無く、後ろから、抱きつかれた。 胸に回された華奢な腕。 シゲに押し付けられている彼女の体。 柔らかい感触が、Tシャツ越しでもクリアにわかる。 彼女の場合、絶対に……絶対に、誘っているわけではないのだと、自分に言い聞かせた。完全に限界だった。 「……お嬢」 「言ってよ。わからないわよ。私、何かした?」 「ええ子やから、離れて?」首を巡らせて彼女に言った。 「嫌よ……帰ったらどうせ、またしばらく、ゆっくり会えないんでしょ?」 どうせ、しばらくゆっくり会えない。その通りだ。数時間程度ならともかく、こんな風には、月単位で会えないのがシゲと麻衣子にとっては普通なのだ。 「何か言ってよ、馬鹿」 今にも泣き出しそうな彼女の表情に切なくなると同時に愛おしくて仕方がなくなって、シゲは彼女の頬へ手を伸ばし、いつものくせで視線を落とした。 視線の先で、下着をつけていない胸元の柔らかな曲線が、シャツの襟ぐりから覗いていた。 (畜生!) 心の中で吐いた悪態は、誰に向けたものだったろう。 シゲは、体に回されている彼女の細い腕を振り払うと、噛みつくようにキスをした。
中身がまだ残っているコーラの缶を後ろに放り投げた。車の後部座席に彼女を押し込んで、扉も閉めないままできつく唇を重ねた。 とつぜんのことに息をつけず、苦しげな彼女の耳元に唇をよせ、 「男がオオカミやってこと、お嬢かて、知っとるやろ」と囁き、彼女の胸元に右手を這わせた。 柔らかい。ひどく柔らかい。 服の上からでは飽きたらず、ノースリーブの裾から滑り込み、地肌を辿るように登って、ふくらみを手のひらに納めた。ふわふわとした感触がシゲを掻き乱した。そのまま親指の腹で蕾を探ると、悲鳴のような彼女の声が上がって、いっそう煽られる。 「シゲ待って、待って、お願い、んっ」 口づけて、静止の言葉を飲み込ませる。 右手で胸の柔らかさを十分に味わった後、耐えるように折れ曲がっていた膝から腿へ手を滑らせると、じたばたと本気で抵抗された。 「だめ、何考えて……、ばか、だめだってば! 嫌!」 再度口づけ、両手を使ってノースリーブを捲り上げてゆく。このまま胸が見えるまで脱がせるつもりだった。 苦しそうな様子を見せる彼女の唇から一旦離れ、細い首筋に顔を埋める。こんなに細いのに柔らかいのは何故だろう。 「待って、お願い、待って」 微かに汗ばんでいるうなじ。柔らかな髪の感触。 その間にも、シゲの手は彼女の上衣を捲り上げている。 もう少しで胸上まで。 「シゲ!」 耳もとに響いた、静止の意味を色濃く含んだ声音に、シゲは探っていた手を止め、ゆっくり躰を引いた。 彼女と目があった。 すっかり潤んだ黒い瞳が、シゲを見返していた。 「……すまん」 目を逸らして言うと、後部座席に彼女を乗せたまま、シゲは運転席に戻って車を発進させた。
海沿いを走る車内は、しばらく無言だった。 「違うのよ……だから……」 沈黙に耐えきれなくなったのか、囁くような声が後ろから聞こえてきた。 「シゲが嫌なんじゃなくて…」 「わかっとる。まだ怖いんやろ」 今度は無言だった。 「わかっとる。まだ、待てるさかい」 どうにかこうにか、だましだまし、なんとかまだ待てるだろう。待てる。待てるったら待てる、お前ならできる、と自己暗示をかけているシゲに、たどたどしく彼女は話を続けた。 「……違うのよ、ただ……」 「ただ、あの、……だって、」 「外で車が通ってたじゃない、の」 「っ、だから――」 次のセリフを待ちながらシゲはバックミラーで彼女を見遣った。彼女は真っ赤な顔で、何を言い淀んでいるのか、口をぱくぱくさせている。 あまりにそれが長引くので、シゲは思い切って言ってみた。 「人目があるから嫌やったってこと?」 真っ赤な頬の彼女が、バックミラー越しに、うなだれるように頷く。 「あ〜。お嬢?」 努めて軽くシゲは言った。 「それは、人が来ないところでなら、ええってこと?」 しばらく、密度の高い奇妙な沈黙があった。 そのせいで、車内にはクーラーが効いているのに体温が何度か上昇したんじゃないかと思った程だ。 彼女は両手で顔を覆った。 そして、しばらくしてから「……はい」と蚊の鳴くような返事があったのだった。
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